子宮の病気抱え不妊治療した女性と家族の覚悟 25歳で発覚した子宮内膜症と向き合い治療

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漢方を飲んだり、週1回鍼灸に通ったりして妊娠しやすい体づくりを心がけていたが、そのときすでに34歳だったこともあり、最初から卵子に細い針で厳選した精子を注入し受精させる顕微受精を勧められた。

そして、2日に1回、朝イチに通院する生活が始まる。「1個だけでしたがいい卵が採れ、授精卵のグレード(質)も上々。1度凍結して、いよいよ戻そうという矢先、今度は乳がん検診でひっかかったんです。しかも、夫の海外転勤まで決まってしまって……」。

海外転勤の前に、できることなら急いで戻したかったが、もし乳がんなら不妊治療をしている場合ではない。卵を戻すことは1度断念し、乳がんの精密検査を受けることにした。幸い、問題なかったが、時間の余裕もなくなり、そのまま海外転勤に帯同することになった。

一時帰国して受精卵を戻した

海外に行っても、凍結してある卵が気になるばかり。海外での生活も落ち着いた頃に1人で一時帰国。受精卵をお腹に戻し、無事妊娠した。そのとき35歳になっていた。

内膜症は手術で完治していたが、癒着は残っているため、キャッチアップ障害はそのまま。帰国後、第2子を希望したが、不妊治療は確定している。また仕事が忙しくなり、第1子のときのように何百人も待つクリニックに朝イチから通うのは難しい。

「当時は、朝病院に行って仕事のスタートが遅くなっても、残業してカバーできましたが、子育てをしながらクリニックに通うのは無理がある。諦めようとしたとき、家の近所に評判のいいクリニックがあることをママ友から聞き、40歳で治療を再スタートしました」

経験者なので、初診での話も早く、2回目の受診で採卵し、41歳で第2子を出産。第1子のときに足かけ4年かかった治療がうそのように、とんとん拍子に進んだ。しかし、病気の発覚からは15年以上、不妊治療開始からは10年以上の歳月が経っていた。

産婦人科の診察台が苦手で、できれば行きたくないという女性は少なくない。しかし、初潮の年齢が早まり、晩婚化で1人当たりの出産回数も減り、昔に比べ月経回数が増えている現代女性は、婦人科系の病気が増加傾向にあるという。

いざ子どもが欲しいと思ったときに病気が発覚すると、そこから治療が発生し、妊活や不妊治療を開始するのが半年、1年と遅くなってしまう。

まだ結婚していなくても、子どもを考えていなくても、せめて年1回の婦人科検診を受けるなど、日頃から自分の体と向き合っておいて損はない。

本連載「不妊治療のリアル」では不妊治療の体験について、お話しいただける方を募集しております。取材に伺い、詳しくお聞きします。こちらのフォームにご記入ください。
吉田 理栄子 ライター/エディター

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よしだ りえこ / Rieko Yoshida

1975年生まれ。徳島県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、旅行系出版社などを経て、情報誌編集長就任。産後半年で復職するも、ワークライフバランスに悩み、1年半の試行錯誤の末、2015年秋からフリーランスに転身。一般社団法人美人化計画理事。女性の健康、生き方、働き方などを中心に執筆中。

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