「飲みニケーション」が時代錯誤と言えない理由 「18年仕事相手と飲む」を貫いた男が得たもの
こうした理由から市民権が得られているということはありつつも、私が飲み会の効能を考えたときに何しろ大きいのは「仕事につながる」ということに尽きる。
フリーランスという働き方の特殊性なのかもしれないが、今まで獲得してきた仕事の多くは酒の席から生まれたものだ。最近もあるオウンドメディアの編集者と打ち合わせをしてきたのだが、その後、彼からもらった業務関連のメールの末尾にはこうあった。
「その他、何か必要な情報のご要望がありましたら、お申し付けください。また、編集長も一緒に、一度飲みいかがでしょうか? よろしくお願いします」
飲みニケーションで「得られるもの」
これまで彼とその部下とは2度打ち合わせしており、仕事が合意に至りそうになった今、上長を招いた飲み会をやり、親睦を深めるとともに、その場でアイデアも出し合おう、という意図だろう。「キックオフミーティングを編集長も含めてやりましょう」ではなく「飲み会しましょう」が今回は選ばれたのだ。
2度の打ち合わせで先方のスタッフと気が合うことはわかったので、飲み会もきっと楽しいことだろう。いや、今回飲み会をする人々はサラリーマンなわけだから、彼らにとっても適切な発注相手を見つけたということで、私同様「仕事につながる」のは同じことだ。
また以前、転職相談をされた若者から、無事に転職が成功したことと初出社の後に会いたい旨のメールも来た。
「急ぎませんので、もしどこかで軽く飲んでいただけるお時間などありませんでしょうか。御礼も含めて中川さんにごあいさつに伺えないかと思っております」
もちろん、私が酒好きであることを彼らは知っているから「軽くお茶でも」と言わない面もあるのだが、真面目なことを話したいとき、とにかく話を聞いてもらいたいときなどは「飲みませんか」というのが手っ取り早い誘い方にはなる
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