ギリシャ時代のワインビジネスを支えた技術《ワイン片手に経営論》第3回
第2回のコラムでブドウの樹は繁殖力が強く北半球全体に拡がっていたと記しました。であるにもかかわらず、ギリシャ・ワインが当時の地中海で広く交易されていたのはなぜでしょうか? ブドウがどこにでも繁殖しているにもかかわらず、ギリシャが特別の地になったのはどうしてでしょうか? 地元でワインを造って消費するのではなく、わざわざギリシャからワインを買っていた人たちがいたとすると、その理由は単純で、当時の他の土地のワインに比べてギリシャ・ワインが「美味しかった」からに違いないと思うのです。そして、美味しいワインが造られていたのだとしたら、そこには何かしらの「技術」が介在していたのであろうと想像します。
実際、いろいろと調べてみると、アリストテレスの最も有名な弟子であるテオフラストス(紀元前372頃-紀元前287頃)が『植物誌(Historia Plantarum)』や『植物原因論(De Causio Plantarum)』といった論文の中でブドウ栽培についても執筆しており、そこには、挿し木の技術や刈り込み技術などについて記述されています。
ギリシャ時代の人間であれ現代人であれ、技術に対峙する際の情熱や能力は、さほどの変わりはないはずですし、(前回、ご紹介したように)ギリシャ時代のワインの経済価値を考えると、その価値を更に高めるため、可能な限りの技術が駆使されたであろうことは想像にあまりあります。ギリシャ時代を3000年前と考え、人間の一世代を30年とすると、わずか100人ほど、電車一両に軽く全員が乗れてしまうほどの数の先祖を遡ったような話ですから、ワインを美味しいと思う感性や考察能力が何倍も異なっていたとは考えられません。数多くの哲学者が名を残し、また、パルテノン神殿を建設できるほどの技術を誇った当時のギリシャ人ですから、ブドウの栽培やワインの醸造について技術を研ぎ澄ましていたとしても驚きには値しないと思うわけです。
■品質の維持・向上を率いた「栽培技術」「製陶技術」「保管技術」
では、それはどんな技術だったのでしょうか。いくつかの文献を調べた結果、「栽培技術」「製陶技術」「保管技術」などのあったことが分かってきました。
栽培技術には、先述の通り、テオフラストスの論文などから既に挿し木技術や刈り込み技術があったことは分かっていますが、これらの技術以外に、剪定技術も存在していました。剪定技術には、冬季剪定と夏季剪定があります。冬季剪定とは、冬の休眠期(11月~3月ごろ)に株を短く切ることであり、こうすることによって樹の健康を高め、最終的に質の高いブドウを造りだすことができます。夏季剪定は、成長期に未熟な枝や芽を切り落とすことによって、栄養が樹の無駄な部分に行かないようしながら収量や糖度の品質を調整するもので、これも質の高いブドウ造りが目的です。冬季剪定は、早すぎても遅すぎてもいけず、タイミングを間違えるとブドウの収量が減ったり、質が低下したりするため、ブドウ栽培の最も重要と言っていい作業となります。