ギリシャ時代のワインビジネスを支えた技術《ワイン片手に経営論》第3回 

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 ではなぜ、ギリシャ時代に剪定技術があったことが分かるかというと、同時代の文献にロバがブドウの若枝を食べてしまったとか、獣によってブドウの実を食べられてしまったといった記述があるためです。そして、食べられてしまったブドウの樹からできたブドウやワインは、それまで以上に美味しかったというのです。ロバをはじめとした動物には感謝しなくてはなりません。

 ブドウ栽培の質と量に重要な影響を与える剪定技術が既にギリシャ時代にあったことは、当時のブドウの質を想像するのに重要な事実であると思われます。なお、背が低く短く剪定された株の図案があしらわれた紀元前5世紀ごろのギリシャの貨幣なども残っており、剪定技術が当時、存在していたことのもう一つの証拠であります。

 このような剪定技術は、ある程度の規模になってくると組織的かつ効率的に行わなくてはなりません。「マグナ・グラエキア」、すなわち大ギリシャといわれたイタリアのシチリアなどでは、整然と支柱で支えられたブドウの単一栽培が行われ集約的な生産がされており、そこからもギリシャ時代のワイン造りがきちんとした産業となっていたことが伺えます。

 ワイン造りの基本は単純です。ブドウの樹は自然のままに育つものですし、ワインもブドウを潰して、放っておけば、勝手に出来上がってしまうものです。ですから、剪定技術の発見はブドウ栽培が人為的なものになった象徴的なできごとであり、剪定の加減と集約的な生産技術がギリシャ・ワインの質を高めていたのだと思われます。

 次に製陶技術です。この技術は、このギリシャ時代のワインビジネスにおいて剪定技術以上に重要な意味がありました。要は、アンフォラと呼ばれる壺を造る技術です。ワインを市場に届けるための容器ですから、大変に重要なものです。いくら優れた剪定技術を備えていても、それだけではワインは市場に届きません。アンフォラがあって初めて可能となるのです。大規模なブドウ栽培家は、自ら手作りでアンフォラを造り、自らの名前や銘柄・醸造元・醸造年を刻むことも多かったようです。名前を刻むという作業は、そこに造り手のプライドを込める作業であり、古代のワイン栽培家の情熱を感じざるを得ません。また、宣伝や品質を保証する意味合いもあったように思われます。「このワインは私が造りました」と。ですから、製陶は単に市場にワインを届けるための容器を造る作業ではなく、ビジネス面で重要な作業だったのではないかと思います。

 ただ、当時のアンフォラはまだ重くて壊れやすく、陸路で運ぶことは困難でした。したがって、まずはアンフォラを使って海路で海港や河港まで運び、そこから革袋にワインを移し替えて、鞍のついた動物の背中に載せ、起伏の激しい道を運ぶのが一般的だったようです。ただし、これでは大した量を運ぶことはできません。その結果、ワインを内陸部まで運ぶことはできず、ワインの交易市場というのは、地中海沿岸の都市に限られていました。アンフォラの技術がギリシャ時代のワインの流通範囲を規定していたのです。そして、ワインの交易が活発だったフランスの沿岸部の都市の代表的な例が、南仏にあるマルセイユやマルセイユから海岸沿いに200kmから300km西に移動したナルボンヌという町でした。この二つの町は、この後、ローマ帝国時代にワインを現在のフランスであるガリアに広める重要な役割を果たします。

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