ギリシャ時代のワインビジネスを支えた技術《ワイン片手に経営論》第3回 

■バリューチェーンを網羅した技術たち

 最後に、保管技術です。いくら質の高いブドウを栽培しても、保管がしっかりしていなければ、ワインの質は、すぐに低下してしまいます。この時代のワインは長期保管できるようなものはなく、ほとんどが1年以内に飲まれ、長期保管できたとしても3~4年程度が精一杯だったようです。ワインの経済的価値が極めて高かったことを考えると、保管技術は資産価値の低下を防ぐ意味でも大切な技術でした。

 当時のワインの変質の主な原因は、有害微生物による腐敗でした。ギリシャ時代に有害微生物の存在が分かっていたかどうかは知りませんが、彼らは変質を防ぐ方法を経験的に知っていたようです。現在の科学的知見をもってすれば、変質の原因が有害微生物というのであれば、有害微生物が生きていかれないようにすれば良いので、ワインの変質を防止する方法は、すぐに考えられます。

 一つめは、空気を遮断すること。有害微生物の多くは好気性であるからです。当時は経験則から、アンフォラの口元ぎりぎりまでワインを入れ、密栓するやり方をとっていたようです。また、密栓できないときには、表面にオリーブ油を浮かべ、空気との接触を遮断しました。

 二つめが有害微生物の活動を阻害する物質を添加する方法です。阻害物質としては、薬効のある香辛料やブランデーのような強いアルコールが使われていたようです。なお、こうした阻害目的であったものが、後に嗜好目的のための添加に変わっていくこともありました。

 最後に三つめですが、有害微生物の活動を阻害する別の有用な微生物を加える方法です。現在のシェリーはこの流れを汲む製法で、こうしたやり方は古代ギリシャに既に存在していたようです。放置したワインの表面にできる白いカビのような膜の下からワインを取り出して飲んでいたという記録があります。この三つめの技術は、ワインをほったらかしにしていたら白いカビが生えてしまったが、飲んでみたら美味しいので飲み続けたという程度のものかもしれませんが、現在の科学的視点からみると、そこに意味が存在していたことが分かります。

 以上、栽培技術、製陶技術、保管技術を見てきましたが、いずれも、科学的知見に基づく現在の方法論と比しても決して幼稚なレベルではなく、むしろ極めて高い技術であったように思います。そして、これら三つの技術は、生産→輸送→保管という生産者から消費者までを結ぶバリューチェーンを網羅しており、当時、最も質の高いワインを造っていた人たちは、これらの技術をフルに活用して市場に届けていたと思われます。このような技術に裏打ちされたワインでなければ、ある意味どこでも誰でも造れてしまうワインの中で、ギリシャ・ワインが他のワインと差別化し、その地位を確立できなかったのではないかと思われます。

 このように、ワインのビジネスを成立させていた技術を見てきたわけですが、最終的に市場あってこその技術です。その意味で、ギリシャ全盛の時代においてギリシャを中心とした地中海の人口は多く、そこには充分大きなワイン市場が存在していたことを、今一度思い出す必要があります。極めて高価なワインを購買する市場が存在したことは、そのワインの対価がふたたびワインの生産・輸送・保管の技術向上に使われるという好循環を促したのは想像に難くありません。結局、ワインという交易品は、優れた技術と魅力的な市場が相互に良い影響を与えながら発展し、ギリシャの繁栄に大きく寄与したに違いないと考えます。

 今回は、なぜギリシャ時代にギリシャ・ワインが広く交易され、当時のワイン市場を席巻していたかを見てきました。そして、時代は移りゆきます。ローマ時代に入り、ワインの市場はさらにフランスの中部から北方に広がっていきました。次回のコラムでは、ローマ時代のワインを振り返りながら、ローマの領土拡大において果たしたワインの役割と市場拡大を支えた技術について記したいと思います。

*参考文献 ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書 ブドウ畑とワインの歴史』国書刊行会、麻井宇介『ブドウ畑と食卓のあいだ』日本経済評論社、チャールズ・シンガー他『技術の歴史 地中海文明と中世』筑摩書房、フォーブス『古代の技術史』朝倉書店、ヒュー・ジョンソン『ワイン物語(上)』平凡社、ワイン学編集委員会『ワイン学』産調出版
《プロフィール》
前田琢磨(まえだ・たくま)
慶應義塾大学理工学部物理学科卒業。横河電機株式会社にてエンジニアリング業務に従事。カーネギーメロン大学産業経営大学院(MBA)修了後、アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社入社。現在、プリンシパルとして経営戦略、技術戦略、知財戦略に関するコンサルティングを実施。翻訳書に『経営と技術 テクノロジーを活かす経営が企業の明暗を分ける』(英治出版)。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。
◆この記事は、「GLOBIS.JP」に2008年11月27日に掲載された記事を、東洋経済オンラインの読者向けに再構成したものです。
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