来る日も来る日も、京都の公園でカラスにパンくずを与える松原青年。最初は慎重だったカラスたちも危険がないとわかると次々にやってくるようになり、気がつくと20羽のカラスに取り巻かれるようになった。カラスに餌をやる生活を1年間。パンを食べに来るカラス同士のあれこれが見えてくる。
「ものすごく面白いので、パンを分捕りに来るという一側面だけではなくて、こいつらが普段、野生で何をしているのか、ぜひ知りたいと思いました。そこで野生のカラスを見に、大学の近くの神社に行きました。行って眺めてみたらこれがまた面白くて、抜けられなくなってしまったのです」
身についた、カラス的な感性
鳥類生態学の定石は、捕獲して標識をつけることだが、用心深いカラスではそれは無理。かといって個体識別もできないので、野外観察では一度目を離したら終わりだ。だから、カラス研究では定性的な観察記録をつけるのがせいぜいだと思われていた。
そんな中、松原氏はカラスを追いかけまくって行動を観察するうちに、カラスが飛びそうなルートや好んで止まりそうな木などがだいたい読めるようになった。いわばカラス的な感性を身に付け、特定の1羽を追い続けることに成功。この“特殊能力”を使って緻密なデータを蓄積することで、カラスでも定量的研究ができることを学界に証明した。まさに、執念、いや、カラス愛の賜物である。
当時から現在までに足で稼いできたカラスに関する多くの知見は、動物行動学会など諸学会の大会でも高い関心を集めている。ただ、発表時の反応は「へえ! そうなんだ!」ではなく、「たぶんそうだろうとは思っていたけれど、やっぱりそうか」というのがしょっちゅうだ。
「鳥をちゃんと見ている人なら気づいてはいるけれども、確かめたことがないことが、カラスには山ほどありました。古典的な研究で基礎的なことがわかった後は、カラスについてそれ以上突っ込めることがあるとは、誰も思っていなかったのでしょう。それで、カラスをほっておいた。『まあ、何やったって、どうせカラスだし』と」
あれほど日本の生活において存在感が大きいカラスが、学問の世界ではどうしてほとんど手つかずのまま来ていたのか。それは、生態学的にカラスは珍しい鳥ではないからだ。
ほかの種の鳥の巣に産卵するカッコウのように不思議な生態を持っているわけでもなく、ガラパゴス諸島に住むフィンチのように進化の過程が興味深いわけでもない。また、ライチョウやトキ、アホウドリのように、希少性が高くて保護しなければいけない、というものでもない。
つまり、カラスはあまりにも普通なのだ。一方で、自分の研究の意義や重要性をアピールし、研究資金をしっかり獲得して世界初の業績を残したいのが研究者。「ごく当たり前でした」という結果が出そうなカラスは、積極的に研究対象に選びたいものではなかったのである。
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