斉藤和巳を支えた亡き先輩のまっすぐな生き様 2軍でくすぶる時代の手本、藤井将雄の存在

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“命がけ”という言葉があるが、2000年の藤井はその言葉どおりのシーズンを戦った。

「僕には、簡単に『命をかける』という言葉は使えませんが、自分が追い込まれたときに『ここからでもまだやれるやろう』と自分を鼓舞してきました。藤井さんの生き方が僕の中の希望でした」

『野球を裏切らない――負けないエース 斉藤和巳』(インプレス)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

背番号15はずっと空き番のままだ。ホークスの本拠地・福岡ヤフオク!ドームの15番ゲートは「藤井ゲート」と名づけられ、藤井がファンや球団、チームメイトへ残したメッセージが掲げられている。

「親会社がダイエーからソフトバンクに代わっても、藤井さんはみんなに愛されています。もう現役選手の中にも現役時代の藤井さんのことを知る人はいません。

でも、その生き方はずっと語り継がれています。僕は藤井さんのことはすべてがすごいと思っているんです。精神力が特にね」

藤井の墓参りをして「よし、頑張ろう!」

斉藤は2008年に戦列を離れ、2度も肩の手術を行った。6年間リハビリに専念したものの、1軍に上がることなく、ユニフォームを脱いだ。

リハビリ期間中、心の支えとなったのが藤井の存在だった。

「どうしてもリハビリ中には行き詰まることがあるんです。目の前のことを一生懸命にやるのは普通のことなんですが、それがしんどいと感じるときがある。不安になったり、迷いが出たり、怖くなったり……まわりにいるのは自分よりもひと回り下の若い選手たち。彼らの前でそんなこと、口には出せない」

斉藤には、そんなときに訪れる場所があった。佐賀県唐津市にある藤井の墓だった。

「お墓の掃除をして、丘の上からの景色を見ながら、しばらくぼーっとしていました。藤井さんと話ができるわけではないですけどね。藤井さんならどうするかな? 相談したら、どんな言葉が返ってくるかな? と考えながら。『藤井さんは命がけでマウンドに上がっていたけど、オレは命までは取られへんもんなあ』と。

あれこれ考えているうちに少しずつ落ち着いてくる。そこにいたのは1時間か1時間半くらい。そのうちに『よし、また頑張ろう』と思えるようになるんです」

リハビリを続けた6年間、何回、墓参りをしたかはわからない。斉藤を支えてくれたのは、目に見えない藤井の存在だった。

(文中一部敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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