「教育虐待」に気づかない教育熱心な親たちの闇 親から子への「ソフトコントロール」にご用心
「教育虐待」という言葉は、ここ数年でメディアでもたびたび見られるようになった。では教育虐待自体がいま増えているのか。
はっきりしたことはわからない。教育虐待のような事象は昔からあった。しかし昨今では、その構造が複雑化していることこそが問題だと思われる。
高度成長期の「教育ママ」は子どもを有名大学に入れることだけを考えていればよかった。「もやしっ子」と呼ばれようが、テストでいい点数をとれる子を育て、「高学歴」というパッケージ商品を得られれば、それだけで満足できた。
しかしいま、「学歴はもう役に立たない」と言われる。とはいえ、学歴が要らなくなったわけではない。高学歴があることは大前提で、オプションとして、英語もできなければいけないし、プログラミングもできなければいけない、プレゼンテーションにも長けていなければいけない……と考える親は多い。
「勉強ができるのは当たり前。でも勉強ができるだけじゃダメ」というわけだ。単純に、昔よりも子どもの負荷は増えているのである。
理性の皮を被った感情による攻撃
子どもの成績のことでつい叱りすぎてしまったり、勉強を教えてもなかなか理解できない子どもをついたたいてしまったりという経験なら、実は多くの親にあるはずだ。もしくは自分がそうされて育ったという大人も多いだろう。
それも教育虐待なのか、違うのか。どこまでの厳しさは許されてどこからが教育虐待なのか。教育虐待を受けると子どもにどんな影響が出るのか。教育虐待を受けて育った大人はどんな人生を歩むことになるのか……。
教育虐待の闇を照らす。そのために私は最近、拙著『ルポ教育虐待』を著し、壮絶な教育虐待の事例を描写した。
過酷な受験勉強を乗り越えても、教育虐待によって受けた心の傷が癒えることがなく、成人してもずっと生きづらさを抱えていたり、最終的には自殺してしまったりというケースもある。過干渉を続ける母親の首を絞めた高校生の話もある。
ただし、「勉強しなさい!」「あなたはダメ人間」などとむやみに怒鳴ったりたたいたりする親は、実は少数派であると私は感じた。多くの親は、子どもを叱るに十分な理由を見つけてから、その正論を振りかざしているようなのだ。
「この子が約束を破ったから、そのことを叱っている」などと、正当化をしているのではないだろうか。そうやって「自分は感情的に怒っているのではない」と自分を許しているのではないだろうか。いわば、”理性の皮を被った感情”による攻撃である。
だから子どもも「自分が悪い」と信じて疑っていない場合が多い。反論できない。逃げ場をふさがれ、完全に追いつめられてしまう。
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