「テラハ」が教える新しい「一つ屋根の下」の関係 同居する異性と恋愛関係になるのは昔の話か
では異性のルームシェアはどうか。シンプルなストーリーは男女1組が共同生活を送ることになる場合にみられる。
ドラマ「ルームシェアの女」(2005年)は同性のルームシェアのはずが相手が異性になってしまい、けれど互いに引かれ合ってという展開だ。こうした展開はまったく新しくなく、例えば「ロングバケーション」(1996年)もやむをえず異性と同居を始めたら引かれ合ってという話だった(ただし山口智子演じる葉山南が出ていき、その弟が入居することで同性のルームシェアに転換する)。
つまり異性のルームシェアには(多くは偶然同居することになって)ルームメイトと引かれ合ってしまうという物語の範型がある。
これは吉住渉のマンガ『ママレード・ボーイ』(1992~1995年)やドラマ「シェアハウスの恋人」(2013年)など、男女1組以上のルームシェアの場合にも変わらないのだが、恋愛関係が生じると、その後も3人以上が暮らすその空間で恋愛を発展させることは難しい。そこで、『ママレード・ボーイ』でも、「あいのり」でも「テラハ」でも、カップルはルームシェアを「卒業」することになる。
新たなルームシェア
ところが、近年のルームシェアのブームではまったく風景が違う。異性同士でも恋愛関係を持たずに住むという例が珍しくないし、内部で恋愛関係が発生したとしても、そのままカップルを超えた同居生活が継続される場合が見られるのである。ドラマでいえば「ラスト・フレンズ」(2008年)がその象徴的存在だろう。
「ラスト・フレンズ」では、上野樹里と水川あさみが演じる2人の女性がそもそもルームシェアをしていた大きな一軒家に、女性1人、男性2人が転がり込んでくる。ただ、異性愛で普通にカップルになるのは1組だけで、中では性同一性障害や子どもの出産など複雑な人間関係が展開される。性別のゆらぎと子どもとを抱えながら、しかし共同生活を営んでいく、そういう構想の可能性を残してドラマは幕を閉じる。生涯のルームシェアというものが存在するとするなら、それはこうした共同体的つながりの先にあるのだろう。
そしてまた、本来は恋愛リアリティー番組でありながら、性的なピーもポーもなく、「無性」の空間で展開される「テラハ」が国内外の視聴者を引きつけているのは、恋愛模様の中にこうした新たな共同生活の可能性が垣間見られるからなのかもしれない。
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