「血を抜けば病気が治る」を信じた人たちの惨烈 人は到底効果のない治療法を色々試してきた

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1623年、フランス人医師のジャック・フェランは、恋煩いを外科手術で治療する方法を一冊の本にまとめた。

この治療法は「十分に栄養を取ったぽっちゃり体型」の患者向きだったようだ。フェランは、患者が心不全を起こすまで瀉血し続けることを推奨(!)すると共に、「確実に治すには痔核を切除することだ」とも記している。どうやら彼は、傷心と痔は密接につながっていると考えていたらしい。(174ページより)

センスに欠けたジョークのような話だが、メンタルヘルスの分野で瀉血が利用されたのは、これが初めてではないという。医師にとっては解剖学と同じく、心理学も長きにわたって問題の多い分野だったからだ。傷心、気分の落ち込み、躁(そう)病のような、理解しがたく治りにくそうな患者を前にすると、多くの医師はメスに頼ろうとしたということだ。

漢王朝時代に執筆された中国最古の医学書である『黄帝内径(こうていないけい)』も、「笑い続ける症状」すなわち躁病に瀉血療法を勧めている。いくらか血を抜けば、患者は静かになるはずだという発想である。

同じようにアメリカ建国の父にして医師でもあったベンジャミン・ラッシュも、躁病をはじめとするさまざまな症状の治療法に「英雄的医療(ヒロイック・メディシン)」を勧めている。

「瀉血は一度に0.5~1リットル程度まで可能だろう……患者をおとなしくさせるには、初期のうちに大量に血を抜くといい」。どんなに興奮しやすい人だったとしても、血を抜かれてだるくて元気がなくなれば、おとなしくなるのは当然なのだが。

マリー・アントワネットも犠牲に

言うまでもなく、笑えない瀉血体験をした人もいる。例えばいい例が、マリー・アントワネットだ。彼女は宮廷の人々が大勢見守る中で出産したあと、瀉血をされたというのだ。出産後は失神したが、瀉血のおかげで――または血管を切られた痛みからか――目を覚ましたのだそうだ。

もっとひどい目に遭ったのは、1685年、ひげを剃っていたときに発作で倒れたイングランドの王チャールズ2世だ。14人の侍医たちはチャールズ2世を救うべく、あらゆる手段を講じた。瀉血、浣腸、下剤、吸角法を行い、東インドのヤギの胆石を食べさせたり、鳩の糞でできた膏(こう)薬を脚にくまなく塗ってみたりもした。

侍医らは大量の瀉血を繰り返し行い、一度は頸静脈の切開までした。その結果チャールズ二世は、血をほぼ抜き取られた状態で亡くなったのだという。

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