同時期の2007年に筑波大学整形外科の落合直之前教授が野球障害で悩む子どもたちを少しでも減らそうと『つくば野球研究会』を作り、馬見塚氏はその事務局で10年間働いた。野球障害の発症予防や早期発見を目指して重症化を防ぐためには「野球に関するさまざまな”異分野”の情報をみんなで学ぶこと」が大切だと考え、さまざまな分野の専門家の講演会も開いた。毎年300~400人くらいの方に聴講してもらい、自身にとっても学びの機会になったと話す。
つくば野球研究会の事務局を続ける中で、いくつかの出会いがあった。その第1の出会いはゼット株式会社の中野勲さんだ。その頃、「少年用の野球グラブをその日から使えるようにできる」というアイデアがあり、それを「ダブルフレックス構造」という形で実現してくれたのがゼットだったという。2011年にはじめて発売され、現在もグランドメイトシリーズという名前で販売されている。これも、野球現場、医学、工学という複数の専門分野を横断する知識で生まれたものだった。
もう1つの出会いは、ベースボールマガジン社の方々と1冊の書籍だった。2012年に馬見塚氏は『「野球医学」の教科書』という著書を刊行し、この書籍名を考えるときに参考となったのは、島根医科大学名誉教授の廣谷速人先生が書かれた『論文のレトリック』という書籍だった。
「この書籍の中に『論文名はなるべく短く、わかりやすく、内容に書かれているものすべてを含むものが良い』ということが書かれていました。この考え方を参考にいろいろ悩んだ末、夜中にポンと浮かんだのが『野球医学』という名前でした。
今聞いてみると当たり前のような名前ですが、当時はこのような名前がありませんでした。野球医学なら、短く、わかりやすく、内容をすべて含んでいると思い担当の方に提案したところ、の教科書』をつけた方がいいとのことで『「野球医学」の教科書』という名前になったのです」
その後『高校球児なら知っておきたい野球医学』『新版「野球医学」の教科書』と合計3冊の書籍を刊行し、さらに『ベースボール・クリニック』という月刊誌に「野球医学への招待」というコラムも連載した。
大分で「野球医学科」を創設
そして、馬見塚医師は親族の健康状態が悪化したために故郷の大分県に戻り、2016年から独立行政法人国立病院・機構西別府病院スポーツ医学センターに副センター長として勤務することとなり、この病院に「野球医学科」を創設した。
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