「野球医学クリニック」開業した男の選手育成論 5月開業、その経緯を馬見塚尚孝医師に聞いた

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医院の内観。馬見塚医師のもとにお忍びで訪れる野球選手も数多くいる(馬見塚尚孝医師提供)

「研究能力をつけたいと思いまして、35歳のときに筑波大大学院博士課程に進みました。そこで慣性センサーを使って腱反射を数量化するシステムを開発する研究をやっていました。医学と工学をミックスした医工学の領域です。その4年間も大学院で研究をしながら週に1回医師として外来のお手伝いをしていました。

大学院2年目の2004年から一度は離れてしまったスポーツ外来を担当することになりました。医師としては経験を積む中で、確かにお困り度はお年寄りのほうが大きいけれども、野球選手の障害に対して医療は十分に対応していないのではないかと思うようになりました。これをきっかけに再び野球専門のドクターになろうと思い直し、野球外来をしながら非常勤で勤務した病院にあった特殊なMRI用コイルを用いて、野球ひじの研究を始めました。

一方、アマチュアの選手として経験はしていたが、より高いレベルの野球現場を学ばなければならないことも感じてきました。そこで、2006年に筑波大学硬式野球部の川村監督にお願いし、チームドクターとして活動することになったんです」

整形外科医ぽくない整形外科医に

こうして馬見塚氏はベースボール・ドクターへの第一歩を踏み出した。

筑波大学硬式野球部は、首都大学野球連盟に属して神宮大会優勝1回、リーグ優勝4回を誇るまさに体育会の硬式野球部だ。チームドクターとなり、月曜日から土曜日までは病院で医師として働き、日曜日は硬式野球部の練習や試合にいくという生活が始まったという。

筑波大学野球部には学生トレーナーや院生トレーナーといったスタッフが存在し、彼らと共に選手のケガの予防対策を講じたり救急対応をしたりしていた。

病院でのドクターとしての経験も蓄積し、さらに野球部のケガの対応をしているうちに、いろいろなことが見えてきたという。

「例えば、大学野球部のスタッフや選手の勝利への意欲と準備が病院ではとても理解できないものであることや、選手に指導する方法として、『コーチング学』という学問が進歩し、だれもが学ぶことによってよきコーチになれることも知りました。

その後筑波大学硬式野球部部長になり、公式戦でベンチ内に入り野球現場の実際を改めて体験するとともに、首都大学野球連盟で取り組んだパンフレットへの安全対策の掲載や、投球数制限のルール化などにかかわることになったんです」

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