「元SDN48」の彼女が失意の先に見つけた居場所 元アイドルの十字架はすべて人生の糧だった

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廊下では、当時流行した曲『マル・マル・モリ・モリ!』のステージに登場したばかりの芦田愛菜ちゃんが、大人に大切そうにされながら通過した。そして、北島三郎さんがスタッフの方々と小走りに去った。あまりにも芸能界が凝縮されていて目眩いがしたが、私は脇目も振らず団体行動に集中する。

そして無事にNHKホールの出入口に到着し、ロケバスに乗った。そこでようやく皆、浮足立ったり、過呼吸気味になったり、興奮した症状が出始めた。

帰路。帰宅するため1人で電車に乗り換え時計を見ると、まだ22時にもなっていない。 これで、実家で年を越せることは確定した。ゆっくりとくつろぐ時間すらある。

「これで私は紅白出場歌手……」

と、座席で念仏のように唱えてみたが実感は湧かない。

なぜならば、終演後に実家の母にメールで確認したところ、テレビ画面に私は一切映っていなかったという知らせを受けていたからだ。

しかし、確かに私は今日あの場で踊っていたようである。アイドルグループの一員として。

SDN48の2期生としてアイドル活動を開始

私は2010年から2012年まで約2年半、SDN48というアイドルグループで活動した。

それ以前に10代前半から女優として活動し、運よくドラマや映画で大役を演じたこともあった。

だが、実力が追いつかず人間関係で悩み、19歳の頃には芸能界をやめようと思った。ところが、最後まで芸能界に未練は残った。

20歳のとき、「これが最後」という気持ちでSDNのオーディションを受けたところ合格。このグループは、本家AKB48よりも「ちょっと大人のお姉さん」をコンセプトに作られた、成人女性のみで構成されたグループだった。

加入が決まり、先輩であるSDN48の1期生公演を観るためAKB48劇場へ初出勤した日のこと。

私は、秋葉原駅から劇場までの簡単な道のりで迷子になってしまった。

そこで、道端でティッシュを配る「武将メイド喫茶」の女性に道を尋ねる。すると、彼女は親切に道順を教えてくれたあと、「行ってらっしゃいませ、ご主人様。ご武運を!」と、笑顔で付け加えてくれた。

「ご武運を!」

メイド喫茶の彼女が何気なく放ったその言葉は、まさにその後の私の人生を予感させるものであった。

こうして、私はSDN48の2期生としてアイドル活動に励むようになった。当時の私の愛称は、「アーコ」。キャッチフレーズは、「遅れてきた学級委員長こと、アーコこと、亜希子です」だった。あえて、真面目な優等生キャラのポジションを確保した。

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