「元SDN48」の彼女が失意の先に見つけた居場所

元アイドルの十字架はすべて人生の糧だった

その時期、自分のSNS上でなんとなく現在の心境を書きつづるうちに、残ってくれたファンから「アーコの文章は面白い」と言ってもらえることがあった。そこで私はその言葉を信じ、ある日、わらにもすがる思いでWEBメディアのライター募集に応募してみた。

その企業で正式に正社員採用してもらえたのは、新卒の人たちより少し出遅れた25歳のとき。私は芸能事務所を退社し、「普通のライター」としてセカンドキャリアを歩み始めることに決めた。

入社した会社では、入ったその日からWEB記事をバンバン書かせてもらった。

そこで私は、インターネット上でどのような記事が読まれるのか傾向を学んだり、文章の基礎を学んだり、「ネット記事の書き方」を体得したりすることができた。

いくつかヒット記事も生み出した。さらに執筆業にとどまらず、広告記事の営業担当としても働いた。

懸念していた「名刺の渡し方」も、入社後すぐに体得した。なんてことはなかった。

WordやExcel、PowerPointの使い方も知らない私に、周囲の社員たちは親切にしてくれたと思う。だが、会社員になってからも私は、社内の打ち上げでは率先してカラオケでAKB48グループの曲を歌い、誰からも頼まれていないのに“妙なサービス精神”を見せてしまうことがあった。

元アイドル。

その印籠を自分からチラつかせることで、「私って実はこんな経験があるの」と、周囲にアピールしたかったのだと思う。

今考えれば、そんな小せぇ自分がイヤになる。だが当時は、あのような形でしか、意地を見せることができなかった。

元アイドル経験が人生を生きるうえでの糧に

しかしその後、心境に変化が訪れた。

1人の社会人としてあらゆる経験を積み、失敗を重ねるうちに、そんな「小さなプライド」などどうでもよくなったのである。

それくらい「1人の人間」として、日々が充実し始めたのだ。そして、いつの頃からか、私はアイドル業と会社員業を「掛け算」できるようになった。

例えば、アイドルの現場では個性的かつ、上下関係がハッキリとしているメンバーと意見交換をしなければいけなかった。先輩とも上手にディスカッションしなければ、公演のパフォーマンスにも影響が出て、番組収録でもトークが回らなくなるからだ。

『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社、書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

そうした点で、図らずも「プレゼン能力」が磨かれたようで、私は会社員になり2年目の頃から、大手企業から1人で広告案件を獲得できるようになった。

また、「ライブ当日に振付が変わる」という修羅場も経験していたことから、実生活においても臨機応変スキルが身に付いていた。それにより得意先からの急な相談やトラブルにもすぐ応えられるようになった。これまでずっと“特殊な組織”に身を置いていた私にとって、それは「普通の社会」との意外な共通点だった。

その瞬間、初めて過去の栄光にすがることなく、「今の自分として」一筋の光が見えた気がした。

私はずっと、アイドル時代の経験をどのようにして成仏させたらよいのかわからなかった。“元アイドル”という大きな十字架を背負うことが、誇りであると同時に大きなコンプレックスだった。だが、皮肉なことに当時の経験がすべて「これからの人生を生きるうえでの糧」になっていた。

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