死に至る病でさえ克服した「人類と薬」の世界史 たゆまぬ努力と好奇心が不可能を可能にした
日本と同じく多くの神々が登場するギリシア神話では、アスクレピオスが医術を担当していました。輸血を用い死者をも蘇らせる技術が全知全能の神ゼウスの反感を買い、雷に打たれて天に召されますが、へびつかい座として神の一員に加わりました。彼が持っていた蛇が巻き付いた杖は、医療のシンボルマークとして現代でも世界中で使われています。
アスクレピオスの娘のヒュギエイアの杯も薬学のシンボルで、その名は衛生(ハイジーン、Hygiene)、もう1人の娘のパナケイアの名も万能薬(パナセア、Panacea)の英単語として残っています。古代ギリシア医学界のスーパースターは、もちろんのことヒポクラテスで、その誓いは現代の医療倫理でもよく言及されます。ヒポクラテスの処方は、下痢にはソラマメ、風邪には小麦とワインといった、栄養療法的なものが主体でした。
古代ローマ世界では、皇帝ネロの時代に活躍し、薬物誌を遺したディオスコリデスが有名です。薬理学・薬草学の父として中世になるまで長く西洋医学に影響を与えました。ディオスコリデスの薬物誌には、600種もの薬草が記されています。古代ギリシアで活躍した医学者ガレノスも古代医学の祖とされ、さまざまな生薬などを調合したガレノス製剤が後世まで用いられました。
また、11世紀ペルシアで全5巻からなる『医学典範』をまとめ、現代にも通じる新薬の7つの開発規則を記載したアヴィセンナ(イヴン・スィーナー)は、当時のイスラム世界を代表する知識人として知られています。
「近視」を広めたのはグーテンベルク?
ルネサンス期に始まる科学革命は医学分野にも影響を及ぼし始め、解剖学、生理学、外科学、公衆衛生学から薬学に至るまで次第に近代化されていきます。15世紀にドイツのグーテンベルクが活版印刷術を実用化し、宗教改革の波にのって一般大衆が本を読み始めたことで、近視を持つ人も増えました。その結果、16世紀には近視用メガネが産業化され、レンズ制作の技術も向上し、16世紀末のオランダで顕微鏡が発明されます。
その顕微鏡を用い、17世紀にオランダのレーウェンフックが微生物を観察、イギリスのロバート・フックも小部屋という意味の細胞(セル、Cell)という単語を作り出し、近代的な医学や医療の発展に向けて時代が動き出します。
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