死に至る病でさえ克服した「人類と薬」の世界史 たゆまぬ努力と好奇心が不可能を可能にした

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このように、伝統医学から近代医学への転換を牽引したのは西洋医学が中心となりました。それでも、新たな治療薬と言えるものは、20世紀に入るまで数は限られていました。前述のジギタリスのほかには、マラリアに対するキニン、アメーバ赤痢に対する吐根、解熱剤として用いられたアスピリン、梅毒治療のための水銀などです。

本格的な医薬品開発が進み出したのは、ドイツのパウル・エールリッヒらが1907年に梅毒治療薬サルバルサンの合成に成功し、化学療法、特効薬といった概念を提唱したころからです。

1928年の歴史的発明「抗生物質」

人類にとって、病原菌による感染症は、今では考えられないくらい大きな脅威として20世紀半ばまで猛威を奮っていました。しかし、1928年にイギリスのアレクサンダー・フレミングがペニシリンの効果を偶然発見し、抗生物質が誕生したことで大きな変革が起こりました。そして、実験室の規模を大きく超えて、大量工業生産の技術が開発されたことが、その普及に欠かせませんでした。

オックスフォード大学に在籍していたオーストラリア人のハワード・フローリーとドイツ系イギリス人のエルンスト・チェーンは、1944年まで商業的な大量生産に成功します。これによりペニシリン治療が広く普及し、第2次世界大戦で負傷した何百万人もの兵士らの救命につながりました。

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よく知られているように、抗がん剤が最初に開発されたのも、第1次世界大戦で使用されたマスタードガスがきっかけになっています。毒ガスの作用の1つに血液の細胞を減らす効果があることが注目され、1942年から血液がんの患者での臨床研究が開始され、その後実用化されます。

以上のように、19世紀までは伝統医学で経験的に見つかった植物由来の薬が主に用いられていました。20世紀半ばからは本格的な化学合成・大量生産の時代に入り、現在にも続く製薬会社が数多く設立され始めました。薬を開発すれば、商業的に大成功をおさめられることがわかり、手を替え品を替えながら、新薬が次々に誕生する現代に至るのです。

谷本 哲也 内科医

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たにもと てつや / Tetsuya Tanimoto

1972年、石川県生まれ。鳥取県育ち。1997年、九州大学医学部卒業。医療法人社団鉄医会ナビタスクリニック理事長・社会福祉法人尚徳福祉会理事・NPO法人医療ガバナンス研究所研究員。診療業務のほか、『ニューイングランド・ジャーナル(NEJM)』や『ランセット』、『アメリカ医師会雑誌(JAMA)』などでの発表にも取り組む。

 

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