そんなことが頻発し、家でも使い物にならないと判断した玲子さんは、簡単な作業ですら浩二さんに任せるのは完全に諦めた。生活費を工面するために、何年も、睡眠時間3時間で仕事に追われる日々が続いた。
「夫はとにかく1日中パソコンの前にいて、ブラウザ三国志ばっかりやってるんです。あまりに中毒的なので、『アカウントを消せ!』とキレたこともあります。一度アカウントを削除させたんです。でも、隠れてアカウントを作ってたみたいです。仕事の手を抜くし、命がけでサボろうとするその姿勢に、うんざりしました」
離婚のこともこれまでに何度か玲子さんの頭をよぎったが、娘にとって父親がいないのは不憫だろうと思うと、どうしても踏み切ることはできなかった。
意地でも働きたくない
転機となったのは、離婚の3年前に玲子さんの父親に、ステージ4の大腸がんが見つかったことだった。年も越せない可能性があると医師に言われて、実家と自宅を月に何回も往復することが多くなり、仕事が途切れるようになった。
玲子さんの仕事は完全にフリーのため、会社員と違って仕事量がダイレクトに収入に直結する。特に1馬力で生計を立てていたため、父親の世話に時間を取られるようになると、いよいよ家計が苦しくなってきた。
「『やっぱり働いてほしい』って夫に言ったんです。どう考えても、親の介護には時間もコストもかかる。夫が仕事をクビになったときは、私が死ぬ気で働いて、カバーしたんです。私がピンチな今度は、夫が頑張る番ですよね。しかも私が望んでいることは、どこでもいいから、正社員で働くという平凡な願いなんです」
浩二さんは、玲子さんが求人雑誌で見つけたパン工場でのパートタイムの仕事に就き、しぶしぶパンの製造ラインの仕事をするようになる。しかし、当然ながらパートのため、収入は微々たるものだった。
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