団地を支える「高齢者と外国人労働者」の現状 「孤独死」が増え続ける限界集落が生き残る道

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千葉県松戸市の常盤平団地。1960年当時の入居者は都心の大企業に通うエリートサラリーマンの家庭が多かったという(筆者撮影)
かつては高度成長の象徴であった「団地」。住宅供給という国策のため、各地で「ニュータウン」が大量につくられたが、60年経ったいま、少子高齢化もあいまって「オールドタウン」となりつつある。自治会の幹部はほぼ70~80代の高齢者で、居住者の大半は高齢者と外国人労働者だという。団地が抱える問題は日本社会の問題だ――。外国人労働者問題を取材し続けてきたノンフィクションライター安田浩一氏の最新刊『団地と移民』から千葉県松戸市の常盤平団地を取り上げる。

住宅不足に対応するための団地建設

常盤平駅(新京成線・千葉県松戸市)を起点として南側に延びる「けやき通り」は、文字どおり、けやき並木の美しい街路だ。新緑の季節ともなれば、格別の趣がある。枝葉が通りを覆い、緑のトンネルをつくる。

常盤平団地の代名詞ともいうべき風景だ。

60年前まで、このあたりは長閑(のどか)な田園風景が広がっていた。ここで住宅大規模開発事業の計画が持ち上がったのは1955年のことだ。終戦からちょうど10年、戦争の記憶も希釈され、日本社会はその後に続く高度成長に向けて、おそるおそる上昇気流に乗り始めた時代だ。この年、戦前に存在した住宅営団をモデルとして、日本住宅公団が設立された。

急増する人口、それに伴う住宅不足に対応するため、公団が最初に手掛けた都市近郊開発事業の1つが、この地区における団地建設だった。

山水が暮色に映える典型的な農村地区だが、それでも都心までの直線距離は約20キロにすぎない。ベッドタウンとしての地理的条件からすれば好適地であった。

こうして総戸数4839戸の4階建て中層公団住宅170棟のみならず、ショッピングセンター・集会所・病院・小学校の建設まで盛り込まれた大事業が進められた。

1960年から常盤平団地への入居が始まる。

入居倍率は20倍を超えた。家賃は5500円(2DKタイプ)。入居に際しては「家賃の5.5倍の月収入」なる資格が設けられていた。大卒男子の初任給が約1万6000円という時代である。それを考えると、必ずしも家賃が格段に安価というわけでもない。実際、入居者は都心の大企業に通うエリートサラリーマンの家庭が多かったという。

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