33歳、極めて独創的な「文様」で稼ぐ男の生き方 意味を重ねた物語がつながって広がっていく

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旅を終えても大阪には帰らず、そのまま鹿児島県の屋久島(やくしま)に行くことにした。

「屋久島では村が管理している1泊300円の山小屋や、森の奥の樹のうろの中に住みました」

お金がないときは、網漁の手伝いをして駄賃をもらった。そのお金で米や小麦粉を買い、山小屋に戻った。

屋久島では、不思議な出会いもあった。

「僕、ある歌手が好きで屋久島でもその人の曲をよく聞いていました。そうしたら、屋久島でばったりその歌手に会ったんです。偶然の出会いにびっくりしました。

出身地や誕生日や聞いてる音楽が近くて盛り上がりました」

屋久島には半年ほど滞在した。田舎を十分満喫したので、次は都会へ行こうと思った。

とくにあてはなく東京にやってきた。

たまたま入ったバーで求人をしていたので、そこで働くことにした。それに加えて、キャバクラのボーイの仕事もした。

文様を描くプロになろうと決心

屋久島で会った某歌手との縁は続いていて、引越しの手伝いをしたり、ご飯を食べさせてもらったりしていた。

ある日、アプスーさんが某歌手に手製のCDを渡すとき、CDに文様を描いて渡した。それを某歌手がとても気に入り、

「君には文様を描く才能があるから続けるべきだ」

と言ってくれた。

「東京では4年ほど働きました。21~22歳くらいで大阪に戻って、CDのレーベルの手伝いや、バンドのサポートをしていました。23~24歳の頃、CDレーベルが経営難でつぶれてしまいました。

さあ、どうしようか?って思ったときに、某歌手さんの言葉を思い出しました。文様を描くプロになろうと思いました」

アプスーさんは文様を描くときに独特の描き方をする。

目に見えている文様を清書していくイメージだという(筆者撮影)

「紙に描くときには、紙の下に文様の沼があるって感じです。沼にすっと釘を落として、ズズッと文様を引き上げて、それを紙に写すというイメージでした。

ただ最近では、目から文様が直接出るようになりました。人間関係や味なども全部文様で認識できるようになってきました」

描くときには、見えている文様を清書していくイメージだという。アニメソングなどを流しながらリラックスして描くことが多い。

次ページ最初に仕事として描いたモノは
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