勝つために厳しくは必ずしも結果に直結しない ペップトークの活用でチームは劇的に変わる
すると、それまで監督・コーチの顔色をうかがいながらプレーしていた子どもたちも変わっていきました。攻撃前の円陣では「最高! 最幸!! さぁ~いこう!!!」という合言葉もつくり、チームの一体感も生まれました。そして、それまでケンカしていた子どもたちも、仲間のプレーを褒め合い、ピンチのときは声をかけ合って困難を乗り越えるようになっていったのです。
そこから旗の台クラブの快進撃が始まりました。そして、試合を勝つごとに応援していた保護者も本気になっていったのです。
そして迎えた決勝戦。相手チームは現役プロ野球選手の息子さんがピッチャーという強豪チーム。試合は逆転、再逆転のシーソーゲームで延長戦に。延長表の回に相手チームが2点を入れ、リードされたその裏。ベンチは負けている雰囲気はありません。
「野球を楽しもう!」「いける! いける!」「打てる! 打てる!」とベンチや声援を送るお父さん、お母さんの言葉が選手の背中を押し、なんとサヨナラゲームで優勝を果たしました。大矢監督が実践していたのは、まさにペップトークだったのです。
ペップトークはアメリカで生まれた
ペップトークとは、1900年初めごろに「相手のやる気を引き出す言葉がけ」「相手を励ます言葉がけ」として、アメリカで生まれた話術です。
当時のアメリカのスポーツ界では、勝つためには何でもありという無法状態にあり、それを変えるために「下品な言葉遣いを禁止」したことから、ポジティブな言葉でチームを鼓舞する言葉がけとしてペップトークが誕生しました。
ペップ(PEP)とは「元気、活気」という意味で、試合前に緊張している選手たちの緊張感を解き、それをやる気に変える言葉がけとして、現在ではスポーツに限らず、ビジネスでも仲間内のプライベートでも家族同士でも、アメリカでは普通にペップトークが使われています。
特にペップトークが使われたのはアメリカンフットボールで、試合前のロッカールームでヘッドコーチが緊張する選手に対して、やる気を引き出し、チームを鼓舞するための短いスピーチでした。
実際に1980年のレイクプラシッド冬季オリンピックでのペップトークが有名です。当時、無敵といわれた旧ソ連アイスホッケーチームに、学生編成チームで臨んだアメリカ代表チームは、ハーブ・ブルックス監督が放ったペップトークで、選手はやる気に震え、勝利したという映画にもなった話があります。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら