体操協会の「灰色決着」を放置する冷たい社会 宮川選手と塚原夫妻は子供のケンカだった?
「3年A組」のテーマだった「暴言を吐く前に人の痛みを考えて思いとどまる」ことはもちろん大切ですが、これは最低限のこと。当コラムを読んでいるビジネスパーソンのみなさんなら、ワンランク上の行動ができるでしょう。
ワンランク上の行動とは、「考えたうえで、勇気を出して人のために声を上げ、それを自分の学びにつなげる」こと。それこそが、柊一颯のメッセージを一歩掘り下げた「Let’s think」です。
例えば、冷静に考えたら体操協会の対応は、「組織ファーストであって、選手ファーストではない」「体操協会を主語にして考えられた落としどころ」のように見えるのではないでしょうか。「どちらも少し悪いところがあった」という子ども同士のケンカを仲裁するような形で幕引きを図ろうとしているのが、その根拠です。
また、体操協会が公表した調査報告書には、「宮川選手が協会の相談窓口を利用せずに許可なく記者会見・テレビ出演したことはガイドライン違反の疑い」「千恵子強化本部長が面談の録音テープを承諾なしにマスコミに提供したことは倫理規定違反の疑い」「具志堅副会長は公正に欠く発言や協会にマイナスイメージを与える発言に該当する疑い」などの記述がありました。
このように掘り下げれば、個人の口をつぐみ、委縮させるような前時代的な体操協会の対応がわかるはずです。かつて、「組織の長が毅然とした態度を取るべき」「個人のわがままを許すな」という風潮のときがありましたが、現在は個人を尊重する時代になりました。もしこのまま声を上げなければ、「毅然とした対応を取った体操協会はすばらしい」「わがままを言った個人に罰が下った」と認めるような時代に逆行した決着となってしまうのです。
さらに、もう一歩深く考えれば、宮川選手は「東京五輪が間近に迫った今、言いたいことはたくさんあるけど我慢して従うしかない」、千恵子強化本部長は「パワハラの汚名を免れ、選手たちを東京五輪に集中させるために、不本意ながらも黙ることを受け入れるしかない」などの心境も推察できるでしょう。
昨年12月の「パワハラ認定なし」に続く今回の対応によって、体操というスポーツに対するイメージは悪化したままで、東京五輪を目指す選手だけではなく、体操教室に通う子どもたちにも悪影響を及ぼしています。そして、もう1つ忘れてはいけないのは、自らのリスクを冒してまで宮川選手を支持した現役と過去の選手たち。彼らはどんな気持ちで体操協会の対応を受け止めているのでしょうか。
体操のイメージや選手のモチベーションが下がり、引いてはほかのスポーツにもネガティブなムードが連鎖しかねないニュースだけに、メディアと世間の人々は、もっと声を上げてもいい気がするのです。
最後まで見届け、学びを共有する社会に
最後に。このコラムを書こうと思ったのは、体操協会を糾弾したいからではなく、わずか約半年前の騒動を忘れてしまったかのようなメディアと世間の人々に冷たいものを感じ、最後までこの問題と向き合ってほしかったから。
選手たちが気持ちよく東京五輪に向かい、それをメディアと世間の人々が気持ちよく応援できるように。そして、「次々に新たなニュースに飛びつき、途中で見向きもしなくなる」という悪癖を改善するために。あえて、関心の薄くなってしまったテーマをフィーチャーしたのです。
パワハラ騒動がピークだった昨年8月31日、「『宮川選手=正義』『塚原夫妻=悪』はまだ早い」と題するコラムを書いて多くの人に読んでもらいました。今回のコラムはどれくらいの人に読んでもらえるのでしょうか。
「ピークのときに声を上げる」のはいいことですが、「問題や事件を最後まで見届け、どんな学びを共有するか」は、さらに重要。個人を尊重しながら発展していける、成熟した社会を作っていけるかどうかは、メディアと世間の人々にかかっているのです。
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