「でも、うちの高校って9割の生徒が部活に入っていて、帰宅して1人で勉強に励むのが苦になっていき、結局また剣道部に戻りました。剣道部に居場所を求めていたんです。帰宅部時代はあまりのつらさから『人間って何?』といったタイトルの暗い本を読んでしまうまで病んでしまいました。今思うと、ギターでも買ってバンドを組めばよかったなと。ただ、ギターを買える環境でもなく……友達にギターを借りて文化祭でコピバンを1回こっきりやっただけでした」
高3で受験の時期がやってきた。経済状況を考えると国公立でないと難しい。教師からは「一度お前は都会に出たほうがいい、いろんな人に出会ったほうがいい」とアドバイスを受け、第1志望は東京の一橋大学に決めた。しかし、勉強の要領が悪く、ノイローゼ気味になってしまった。だんだん目指していた大学への合格が厳しくなり、前期を関西の国立大に下げて受験しても落ちてしまう。結果、関東の某国立大に後期で合格し、なんとか浪人生活をまぬがれた。
リーマンショックなどの不況は親すら予想していなく…
文系の大学へ進学すると理系よりも就職が不利になる場合がある。堅い家庭で育った恭平さんであるが、親は文系への進学をどう捉えていたのだろうか。
「親は受験のアドバイスはできるけど、なんせ公務員で会社員を経験していないので、社会のことになると鈍感なんですよね……。もちろんリーマンショックの波なんて読めるわけもなく、文系学生がこれからどんなことになるのか予想していなかったのだと思います。
それに、高2までは教師になりたかったんですが、高校教諭だった父から『先生だからといって教壇に立つばかりの世界じゃないぞ、もっと広い視野で職を決めたほうがいい』と諭されて。それで、興味もあった社会学系の学部に行って“やりたいこと探し”をすることにしました。親としても『まぁ、なんとかなるでしょう』という感じで送り出してくれましたね」
進学のため横浜で一人暮らしを始めた恭平さん。仕送りは毎月5万円、奨学金も月5万円もらっていたが、家賃が5万円だったので、とにかくバイトを掛け持ちして詰め込んだ。飲食店でバイトをして20万円稼いだ月もあった。堅い家庭から解放されたので、遊ぶお金とファッション、そして音楽にお金をつぎ込んだ。これだけバイトをしていると大学の勉強がおろそかになるのではないかと思ったところ、ギリギリで単位を取れる程度にうまく抑えたという。
「大学3年の夏は、思い切って90万円かけて世界一周旅行をしました。45日間で10カ国回りました。バイト代もつぎ込みましたが、実は甘い祖母から20万円カンパしてもらいました(笑)」
大学3年は就活が始まる時期でもある。恭平さんは「就活に力を入れてインターンとかやるより、世界旅行をしてそのネタを面接で話したほうがウケはいいかもしれないという甘い考えがあった」と語る。
恭平さんには「面白いことを発信したい」という思いがあった。その思いから出版社やメディア系企業を70社受けたが全滅。
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