いつか起こる「南海トラフ地震」に必要な備え 「予知はできない」としても放置はできない

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悩ましいのは、地震が西から来るのか東から来るのか、さらには連動する間隔が1日なのか数年なのかもはっきりしないことだ。実際に江戸時代後期、安政元年の1854年には東海地震の約30時間後に南海地震が発生。昭和は終戦直前の1944年に東南海地震が起こり、その2年後に南海地震が起こっている。

ちなみに、安政年間には東海・南海地震の翌年に江戸がM7クラスの地震に襲われている。南海トラフから首都直下地震、そして富士山噴火といった最悪のシナリオもありえない話ではない。わからないとは言っていられない。「予知はできない」と認めつつ、大震法に代わる制度づくりが不可欠となったのだ。

食事の出ない避難所

「東半分が『半割れ』になったら、残りの西半分はどうしますか?」

福和教授が常々していたこんな言い回しが、そのまま中央防災会議の議題になった。南海トラフの東側、または西側でM8クラスの大規模地震が発生した場合を「半割れ」という言葉で定義し、「もう片方の半割れ」前にどんな対策が必要か。

2月27日に名古屋市内で開かれた防災シンポジウムで話す福和教授(筆者撮影)

防災と地震学の研究者を中心に、政財界からの委員を交え、約9カ月の議論で報告書がまとまった。それによれば、「半割れ」が起こったら、まだ地震や津波が来ていない残り半分の地域でも、沿岸部に住む高齢者らを事前に避難させる。その期間は「1週間」。来るか来ないかわからないけれど、最低1週間は最大限の警戒をしましょうという呼びかけだ。

関係する534の市町村に対するアンケートなどから、「3日以上は耐え忍べそうだが、2週間だと長すぎる。1週間が社会の受忍限度」と導き出したという。ただし、1週間が無事に過ぎても安心していいわけではない。さらにもう1週間は「日ごろからの地震への備えを再確認する」などの防災対応を呼びかける。

実際には、誰もが苦悩することだろう。

例えば、大阪を中心に関西が壊滅的な被害を受けたとして、名古屋は、東京はどう動くべきか。「西」の救助や復旧に当たっているうちに、今度は「東」が足元から揺さぶられたら……。東京の企業は関西の被災した工場や取引先を助けに行くだけでなく、次に打撃を受けるかもしれない自分たちの態勢を強化せねばならない。

実は、報告書でも「残り半分」の地域で避難所は開設されるが、そこに避難した人に食事や毛布などが用意されることは「困難」だと記している。

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「想像してみてください。先行して地震が起きた被災地は地獄のようになっています。津波ですべてが流された地域の被災者が、ずぶぬれになって食べ物や毛布を求めている中で、こちらの地域もいずれ地震が来るからと言って、同じものを求めるのはやりすぎでしょう。住宅はまだ流されておらず、食料や毛布を持ち出す余裕はある。コンビニやスーパーも開いているから、買い物もできる。だから、そこは自分たちで何とかしてくださいと、ほのめかしているんです」と福和教授。

もちろん異論は出てくるだろうし、自治体によってはそれ以上の手厚い対応をするかもしれない。そこを、地域で事前に話し合っておいてほしいとの問題提起だ。国は報告書を受け、関係省庁と連携して個別対応のガイドラインをつくり、自治体や企業に計画づくりを促す方針となっている。

助けるか、助けられるか。命を救う「だけ」では、社会の動きが止まってしまう。どこまで我慢して、どこまで動かすか。ジレンマだらけで、正解は簡単に見つからない。だからこそ、事前に一つひとつの社会的合意を積み上げておくことが必要だ。

関口 威人 ジャーナリスト

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せきぐち たけと / Taketo Sekiguchi

中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で環境、防災、科学技術などの諸問題を追い掛けるジャーナリスト。1973年横浜市生まれ、早稲田大学大学院理工学研究科修了。

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