50歳「心を病んだ人を救う男」の潔い生き様 彼は刺される覚悟を持って現場に赴いている

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なにか不測の事態が起きたのではないかと依頼人は危惧していた。

「依頼人からは窓をたたき割っていいって言われてたんだけど、その道具もない。しかたなく自動車用の工具で割りました」

そうして押川さんは自宅に入った。

ショッキングな初仕事

部屋の壁には、とても古い金鳥のポスターが貼ってあった。まるで数十年前で時間が止まっているような空間だった。

1階には誰もいなかった。緊張しながら、2階にのぼった。手前の部屋のトビラを開けると、対象者である40代の男性と母親が布団で寝ていた。しかも男性は全裸で、母親に抱きつくようにして眠っていたのでギョッとした。

まずはじめに母親を部屋から出し、その後寝ている男性に話しかけた。すると男性は隠し持っていたサバイバルナイフを抜き出し、押川さんの足を刺した。そして電話線を引き抜き、わめき散らかした。

「傷口から脂肪がピョーンと出ました。私が彼をなめていたんです。刃物を持っていると想像するくらい、彼を尊敬していたら刺されなかったと思います。もちろん警察に訴えるわけにはいきません。

私は刺されても、患者さんと普通に接する根性はあったので、血が流れないよう、足を縛って説得を続けました」

重篤な精神疾患患者の多くは、妄想を話す。男性も強い被害妄想があった。「四六時中見張られている。母親を守るために拉致して一緒に寝ていたんだ」などと話した。

「妄想に付き合うと、ある程度こちらの要求も聞いてもらえる場合が多いです。その現場でも、なんとか交渉して一緒に病院に行きました。とんだ素人仕事でしたね。依頼者から見たら、縛って移送するほうがよっぽどプロらしかったと思います」

初仕事で刺されたのは、とてもショックだった。1週間くらい放心状態が続き、その間は声が出なかった。

「現場には臨床心理士が同行していたんですけど、1回で辞めちゃいました。彼らは優秀な患者さんと話すのに慣れているから、ショックが大きかったんでしょうね」

以後、「刺されることもある」という大前提で仕事をするようになった。刃物を通さない革製の服を着込み、ネックガード(首を守るアイテム)をつけて現場に行くようになった。

作中でも、逆上した患者に襲われるシーンが(イラスト:『「子供を殺してください」という親たち 1』より)

それからしばらくは、いったん川崎市の保健所の仕事をボランティアで手伝い、経験を積んだ。

そしてあらためて本格的に事業を展開していった。

「その頃、まだ20代でしたけど、自分が若いとは全然思わなかったですね。人間がバリバリ動ける年数ってそんなに長くないですよ。25~35歳くらいで一発かまして、35~45歳でもう一発。55歳までに最後の3発目がかませられたらいいなと今は思ってますけど。

『精神障害者移送サービス』は若かったからできたんだと思います。今の年で始めろって言われたらちょっとできなかったと思いますね」

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