ある日、不良が押川さんに「人を刺してきたんやけどの、どうしたらええかの?」と相談に来た。押川さんは、銃刀法に引っかからないように凶器の刃渡りを短くする必要があると答えた。具体的には、犯行に使った包丁を堤防のコンクリートに刃先を当てたまま往復させてガリガリと削るよう言った。そして、短くなった包丁を持って警察に出頭すればよい、とアドバイスした。
「そいつは一族郎党全員とんでもない悪党なヤツでしたけど『おかげで鑑別所に行かずにすんだ』と感謝されました。恩を売ることができたんですね。
そうして自然に、自分で喧嘩をしなくても、トップのヤツに媚を売らなくても、コミュニティーで強者と対等に生きていくすべを身に付けていたんです。効率を重視した、ズルいやり方だと思います」
押川さんは、自分が器用に生きている自覚があった。そのせいか、逆に生きるのが苦手な子にアンテナが立った。
「ふと、学校に来なくなる子がいるって気づいたんですよ」
いなくなるのは、ひきこもりの子どもたちだった。もちろん当時はまだ、ひきこもりという言葉はなかった。
かわいそうだとも思ったし、彼らには何が足りないのだろう? とも思った。
押川さんは、そんな同級生の家にたびたび足を運んだが彼らは家から出てこなかったし、彼らの家族にも冷たい対応をされた。
「世の中には、喧嘩して少年院に行っていなくなるヤツとは違って、スッと人知れず消えていく子がいるんだなって認識しました」
不良でも近寄らない「脳病院」
高校は、当時、地元で非常にガラの悪かった学校に進学した。
「ほとんど文字が介在してないような学校でした。私は進学クラスでしたけど『朱に交われば赤くなる』の言葉どおり、どうしても悪に引っ張られます。
ただ、底辺の悪い連中には差別意識ってあまりないんですよ。たぶん進学校のほうが差別はありますね。差別がないという一点は本当にすばらしかったです」
悪い連中がたくさんいる高校だったが、彼らも近寄らない場所があった。高校のすぐ近くにあった精神科病院だ。当時は地元の人たちは「脳病院」と呼んでいた。
「さすがの不良も『脳がいかれちょうけの。近寄れんけの』って言ってました。ただ、差別的な意識から近づかないのではなく、本能的に怖さを感じて近づかなかったんだと思います。ただ、私は逆にすごい興味がわきました。なんで彼らはそんな場所に詰め込まれて、周りから怖がられているんだろう? って」
病院の鉄格子はむき出しになっていた。ビールケースを4つ積み上げて、その上に乗れば中を見ることができ、患者さんと話をすることもできた。
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