《若手記者・スタンフォード留学記 19》15カ月ぶりの日本で感じたこと
大学が冬休みに突入したこともあり、妻と再会するため、先々週から、日本に帰国しています。
人間は、一定期間、海外に住むと、祖国をより客観的に眺めることができるようになるといいます。ということで、今回は、久しぶりの日本滞在で感じたことを、とりとめなく、記してみたいと思います。
「浦島太郎」はもう古い
「留学前と全然変わっていないね」。帰国後、家族や古くからの友人にそろって言われたのが、この言葉です。
私に久しぶり会う人の多くは、私が目を爛々とさせて「スタンフォードはすばらしい。それに比べて日本は--」というアメリカかぶれの薀蓄を暗に期待しているようですが、私がそう言わないため、拍子抜けするわけです。
確かに、自分自身、思いのほか変わっていないことに驚いています。唯一変わったのは、髪がチョンマゲを結えるほど伸びたことぐらいです(笑)。
留学は、20代前後ならまだしも、20代後半となると、その影響はかなり限定されるのかもしれません。実は、20歳のときにも、スタンフォード大学に1カ月ほど滞在したことがあるのですが、私が田舎者だったこともあり(今もそうですが)、アメリカのスケールの大きさ、豊かさに魅了された記憶があります。
今回、あまり自分の中で変化が起きていないのは、よくいえば、「すでにしっかりと自分の芯ができていた」からであり、悪くいえば「頭が固くなってしまった」からでしょう。
ただ、理由は私の年齢だけではなさそうです。
とくに大きいのが、インターネットの存在です。いまや、海外に長期間滞在したとしても、浦島太郎になることはありません。
実際、ヤフージャパンを見れば、日々、日本の主要なニュースをチェックできますし、スカイプを使えば、日本の妻や友人と無料で会話することもできます。加えて、スタンフォードの図書館には、日本の新聞はもちろん、主要な週刊誌・月刊誌(もちろん、『週刊東洋経済』も!)、さらには、17万2000冊以上の書籍がそろっています。日本の図書館や本屋でもなかなか手に入らない古本も多数あるので、日本についての調べ物をするには、もってこいの環境です。
留学生に興味のないアメリカ人
もうひとつの要因は、アジア人の急増です。
スタンフォードでは、日本人は、近年、急速に減少していますが、韓国人、中国人、インド人の大学院生は急増し、その数はそれぞれ400名ほどに達しています。夜中に図書館で勉強していると、周りは大半がアジア人なので、アメリカにいることを忘れてしまうほどです。
とくに、韓国人や中国人は、大きなコミュニティーを作り上げているので、アメリカでも、祖国とあまり変わらない生活が送れるようになっています。
留学前、私は素朴に、「アメリカでは、いろんな民族が活発に混じり合いながら生活しているのだろうな」と思っていました。それは、統計上では真実です。ただし、実際のところ、各民族の間で盛んに交流があるかというと、私の体験では、どうもそうではありません。
むしろ、「スタンフォードという大きい町の中に、アメリカ村、韓国村、中国村といった民族別の村が多数存在する」という表現の方が実態に近いように感じます。
まずもって、大半のアメリカ人学生は、留学生に興味がありません。
これは、彼らの立場に立てば、無理もない話です。高い学費を払いながら、激烈な競争に身をさらしているのに、さして目先の得にもならない異文化交流に励む時間はない、と思うのは自然でしょう。
ビジネススクールの友人も、「アメリカ人の学生にとって、留学生との交流は優先順位が相当低い」と言っていました。私の所属する学科は国際関係が専門ですので、留学生や海外情勢に興味を抱くアメリカ人学生は多いのですが、大学全体では、例外であるように感じます。
一方、留学生から見ると、もし留学生が少数派であって、アメリカへの移住を目指しているのであれば、アメリカに溶け込むための努力をせざるを得ません。しかし、多くの同胞がいて、祖国に就職先があれば、無理をしてアメリカに適応する必要はないと感じるわけです。私は基本的に一匹狼タイプなのですが、もし周りにアジア人が少なかったら、アメリカにもっとドップリ漬かっていたかもしれません。
老人大国、勉強大国、ニッポン
もうひとつ、日本に帰国して感じたのは、エネルギッシュな高齢者の存在です。