「カメ止め」大ヒットしても超謙虚な監督の流儀 大切なのはプライドよりも「作品の面白さ」
聞けば聞くほど、映画監督らしくない……と言ったら、語弊があるかもしれないが、監督というよりも運動部のキャプテンというイメージを抱いてしまうほど、誠実な人柄が伝わってくる。
上田監督の20代は、五里霧中だった。ねずみ講的なビジネスによる約200万円の借金、代々木公園でのホームレス生活、そして再び自費出版による100万円を超える借金。「どん底なのに、無理して超が付くほどのポジティブを装っていた。イタい人間でした」と苦笑するが、「あの時代があったからこそ今がある。経験値として蓄積されたことで、どう自分が変わればいいのかがわかるようになった」と、顔を上げる。
「好きなことを仕事にする」ための工夫
受難の時代を経て、結果を残した上田監督に憧れる人は少なくないだろう。好きなことを仕事にした成功者。そう映るかもしれないが、当の本人はやんわりと否定する。
「好きなことを仕事にするという言葉って、重いと思いませんか? 例えば、野球が大好きな少年がいたとする。楽しいから野球をやっているのと、プロ野球選手になるために野球をするのとではまったく違う。プロ野球選手にならないといけないと思ってしまうと、途端に苦しくなると思うんです。
僕は、映画監督を目指していたというよりも、映画を作って、映画のことを考える生活を送りたい、と思っていただけ。言葉として矛盾しているかもしれないけど、映画監督になりたい、と思ったら楽しくなくなってしまうような気がして」
では、好きなことをし続けるためには何が必要だろうか?
「夢を現実に混ぜていました。3年ほど前、深夜のコールセンターのバイトをしていたのですが、手が空いたときに台本を書いていた。携帯ショップの販売員をやっていたときは、皆の営業成績のグラフが貼り出されるたびにノルマを恐れていたから、グラフではなく手書きの日本地図を描いて、“北海道まで到達したら目標達成”のようにして、なるべく楽しめるように工夫していました。
早く通り過ぎてほしいという時間だと思っているから、たぶん苦しいんですよね。好きなことをするための我慢のときなんだ、と言い聞かせている。今という現実と、好きなことを仕事にしている未来は違うんだと分けて考えるのは、もったいない。『こんなところから早く出てやる!』と思っている人は、『こんなところ』に夢を混ぜていく工夫をしてほしい」
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