32歳の長友がアジア杯後に抱いた強烈な危機感 日本代表はカタールに敗れ、惜しくも優勝逃す
アスリートにとって年齢というのは抗えない壁である。
サッカー選手の場合、「30歳を過ぎると下降線に入る」という見方が根強く、所属クラブと日本代表の掛け持ちもフィジカル・メンタルの両面で困難になりがちだ。
日本代表152試合出場の歴代最多記録を誇る遠藤保仁(J1・ガンバ大阪)は22歳から35歳手前までキャリアを続けたが、そこまで行けるのはケガが少なく安定感のあるごく限られた選手だけだ。
初めて日本代表入りした時に21歳だった長友も2008年5月のコートジボワール戦(豊田)から足掛け12年間代表で戦い抜いてきたが、すでに同い年の本田圭佑(オーストラリア・メルボルン)は代表から一線を引き、岡崎慎司(イングランド・レスター)も2018年ロシアワールドカップ後は招集が見送られている。
30代選手の厳しい現実を誰よりもよく知っているからこそ、長友は生き残りをかけて今回のアジアカップに参戦。できる限りの仕事をこなそうとしてきたのであった。
長友が着手したのが若手との融合
昨年12月末の国内合宿から合流した長友がまず着手したのが若手との融合だった。弱冠20歳で森保ジャパンの主力に上り詰めた堂安律(オランダ・フローニンゲン)と冨安健洋(ベルギー・シントトロイデン)のところに歩み寄り、練習前のパス交換を行うのが日課となった。
「僕が若返りたいので彼らの輪に入れてもらってるところです」と本人は笑ったが、最年少の2人にとってその配慮は非常に心強かっただろう。
練習開始後の8対2のボール回しでも、長友は南野を加えた新世代主力組と連日一緒にプレー。つねに大声を出して雰囲気を盛り上げ、若手をリラックスさせようと努めていた。
最初は表情が硬かった冨安も大会終盤には弾けんばかりの笑顔をのぞかせるようになり、実際の試合でもスーパープレーを連発した。それも長友が起こしたアクションの1つ成果と言っていい。
明るく気さくでプロ意識の高い長友に堂安は懐き、朝食後には必ず「今日は何時にジムに行きますか」とメールを送って、ともに自主トレーニングに励むようになった。
「『こいつ貪欲だな、すげえな』って思いますよね。僕と一緒にすると偉そうなのかもしれないけど、自分の若い時に似ているなと。律はホントに向上心がずば抜けている。彼がトレーニングの質と方向性をしっかり定めてトレーニングしていけば、ビッグクラブに行けるポテンシャルはあります」と一回り年下の新星の可能性に太鼓判を押した。
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