32歳の長友がアジア杯後に抱いた強烈な危機感 日本代表はカタールに敗れ、惜しくも優勝逃す

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一方で、大迫勇也(ドイツ・ブレーメン)が9日の初戦・トルクメニスタン戦で右でん部負傷を再発させたことで、出番が急増しながら自分の力を出し切れずに苦しんだ北川航也(J1・清水エスパルス)にも進んで声をかけ、励ました。

「彼は若くて経験がない分、遠慮している部分がある。そこは僕が雰囲気やモチベーションを作ってあげられるかどうかだと思うんで。若手がイキイキとプレーできていないのは僕らベテランの責任でもあるから、自分自身にも矛先を向けたいなと思います」と長友は真意を吐露したのだ。

彼がこういったアプローチを試みるのも、自身が代表キャリアをスタートさせた頃の経験が大きい。2010年南アフリカワールドカップまでの時代は川口能活、楢崎正剛、中澤佑二(揃って昨季限りで引退)、中村俊輔(J1・ジュビロ磐田)といったそうそうたる面々がチームにいた。

長友はイタリアやスコットランドを渡り歩き、UEFAチャンピオンズリーグで活躍した中村俊輔を特に慕い、「事実上の弟子」と言えるほど行動を共にしながら薫陶を受けてきた。

それを機に長友は代表左サイドバックの絶対的存在へと上り詰め、イタリア・チェゼーナからインテルへとステップアップし、3度のワールドカップと3度のアジアカップを戦うまでのビッグプレーヤーとなった。

堂安にもしばしば「ビッグになれよ」と声をかけていたが、自分が先輩から学んだことを今の若手に伝えようという姿勢や意欲は誰よりも強かった。

年長者としての情報発信の積極性があった長友

加えて言えば、長友は代表の価値を下げないように積極的な情報発信にも努めた。1月17日のウズベキスタン戦の後、出番がなかったため取材ゾーンを無言で通過しようとしたキャプテン・吉田に対し、「吉田、喋れ。話題を提供しろ。キャプテンなんやから」と冗談交じりに声をかけたのも、「自分たちからどんどん前に出ていかないと代表人気はすぐにしぼんでしまう」という危機感を抱いていたからに他ならない。

ロシアワールドカップまでのチームにはメディア向けのコメント力に長けている長谷部誠(ドイツ・フランクフルト)や本田、川島永嗣(フランス・ストラスブール)、内田篤人(J1・鹿島アントラーズ)といった面々がいたから、そこまで長友が頑張らなくてもよかったが、今となってはインパクトのある言葉を口にできるのは長友と吉田くらいしかいない。その責任も彼は一身に背負っていたのだろう。

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