沖縄県民が今も「旧暦」を使い続ける歴史背景 「シーミー」「ウンケー」など独自の文化

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奄美や沖縄ではまだまだ旧暦のサイクルを尊重している(写真:sasuke/PIXTA)
日本では、1872(明治5)年に「改暦の詔書」によって、旧暦(太陰太陽暦)から新暦(太陽暦)に切り替わりました。ですが、今も旧暦を使い続ける地方があります。それが沖縄県です。沖縄に住む人々が旧暦を使い続ける理由とは?

日本では新暦に忠実なあまり、旧暦は隅に押しやられてきましたが、実はまだまだ旧暦のサイクルを尊重している地域もあります。それは奄美や沖縄です。

旧暦が残り、独自の文化を持つ沖縄のカレンダーは、「旧暦カレンダー」と銘打ったものでなくとも旧暦の記載が当たり前。年中行事や吉凶の判断などに重要な役割を果たしています。

そのような沖縄のカレンダーの中でも、とくに代表的なものに東洋易学学会総本部編纂の「沖縄琉球暦」というものがあります。その中に、どうして沖縄では旧暦が残り続けているのかを推察するヒントが記されていました。明治政府が沖縄県に対して日本の年号と暦の普及を図った際、本土への抵抗感が強かった県人の間ではひそかに中国で使われていた太陰太陽暦(時憲暦)を使う者もいたそうです。

今も生き続ける「独自の文化」

というのも立地的に中国に近い沖縄では、時憲暦に基づく暦が1674年に初めてつくられ、それ以降明治初期に至るまで刊行されていたのです。また、琉球国の時代に中国に朝貢し、毎年暦を受領していた影響が強く残っているようです。

本土への抵抗感もあったでしょうし、奄美や沖縄などの南西諸島はほかの地域よりも中国文化の影響を強く受けたこともあるでしょう。何より沖縄では暮らしに旧暦が根付いて独自の文化を築き上げており、現代まで残ったのだと思います。

沖縄に残る行事の一例を見てみましょう。旧正月(ソーグヮチ)、清明祭(シーミー)、旧盆(ウンケー)という3つの大きなイベントがあります。

旧正月は旧暦の日付で行われ、また1月3日ごろのハチウクシー(初起し)と呼ばれる仕事始めの日も盛んに祝われています。清明祭は二十四節気の1つである「清明」の時期に行われます。新暦でいうと大体4月4~5日ごろで、お墓に親族が集まってお供えや食事をします。旧盆は旧暦の7月13~15日の3日間行われます。旧正月と旧盆は地域差があり、それぞれに独自の伝統や習慣があります。

旧暦の3月3日も祝いの日です。この日はひなまつりにあたりますが、沖縄では女性にまつわる祝いが行われます。浜下り(ハマウリ)と呼ばれ、村人がこぞって浜に出かける風習となっています。

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