「幸せの国」ブータンで見えた障害者の過酷 母親と暮らす20歳の青年が心配する未来

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母亡き後のことを想像し、「怖い」と漏らすタンディン君(写真:筆者提供)

トゥッケン:私にもその不安はあります。いまはご飯を作ったり、お湯を沸かしたりということもすべて私がやっていますが、彼にはそんなことが何もできません。ブータンでは国からの支援といったこともないので、私がいなくなったあとは……中学2年生と小学4年生の妹たち、もしくは親戚に頼るしかありません。

タンディン:でも、お母さん。僕だって前よりはいろんなことができるようになったよ。昔は自分でご飯も食べられなかったけど、いまは自分で食べられるようになったし……。

――日本では、ブータンは“幸せの国”として知られています。それについてはどう思いますか?

タンディン:僕は、“幸せの国”かどうかはわからないけれど、この国がとっても好きです。これだけ自然が豊かで、とても風景が美しくて。

トゥッケン:もちろんすばらしい国だとは思いますが、やはり格差が大きいのかなと。上の人とのつながりがあれば救われることもありますが、そういったツテもない私たちは……。

――幸せになるには本人の努力も必要になってくる。健常者と障害者では、その必要とされる努力の量は平等と言えるのでしょうか?

トゥッケン:やはり、障害のある人にとっては……難しいところがあるのではないでしょうか。ただ、この子もDraktshoに通うことで、少しずつ自分でできることが増えてきました。今後、このような支援というものが増えてくれば、障害者であっても幸せに生きていくことができるようになるのかなと。

タンディン:僕は平等だと思います。みんなで力を合わせれば、きっといい生活ができるようになると思うから。

必要とされる努力の量は平等と言えるのか?

初めて訪れたブータン。たった数日間の滞在ではあったが、“幸せの国”に暮らす障害者たちは、あまり幸せそうには見えなかった。もちろん、「何より大切なのは家族を中心とした人と人との絆であり、それを感じられるブータンは幸せである」という言説も成立するのかもしれない。しかし、障害者が置かれている環境は、あまりに酷であった。

今の日本では障害者に対する社会的な支援が充実してきたが、過去を振り返れば、日本もいまのブータンの状況とそう変わらない時代があったことは否めない。先人の尽力によって、少しずついまの環境が整備されたことにあらためて感謝するしかない。

また、視点を変えて、福祉先進国と言われる北欧の人々が日本を訪れ、私と同様のインタビューを行ったとき、彼らがどのような感想を抱くのかも聞いてみたい。いや、本音を言えば、聞くのが少し怖い。

「健常者と障害者では、必要とされる努力の量は平等と言えるのか?」

これからの日本社会を考えていくうえで、今後も忘れずに持っていたい視点だ。

乙武 洋匡 作家

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おとたけ ひろただ / Hirotada Ototake

1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。杉並区立杉並第四小学校教諭などを経て、2013年に東京都教育委員に就任。著書に『だいじょうぶ3組』『だから、僕は学校へ行く!』『オトことば。』『オトタケ先生の3つの授業』など多数。

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