経済学を学ぶ人が絶対に知っておくべきこと 無意識にあなたの価値観を支配する怖さ

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右側の経済学と左側の経済学、そもそも出発点も学の体系も違いますから、導き出される解(政策解)もまた違ってきます。

例えば、不況の経済学(=成長の経済学)について考えてみましょう。

右側の経済学は、供給サイドが経済規模を決める、と考えています。ここからは、投資が足りず、供給サイドが弱いがゆえに経済が停滞している、という判断になります。労働市場はその柔軟性を高めるべきだし、所得分配については社会全体で貯蓄=投資が効率的に行われるように分配されるべきで、その限りでは所得分配の不平等はある程度甘受されるべき、(要するに「効率を公平に優先させる」)と考えます。

そして低所得者の生活向上は、経済全体が成長してその結果として恩恵が低所得者にも及ぶ(=トリクルダウン理論)で対応する、という流れになります。

他方で左側の経済学は、需要(有効需要)の側面から物事を考えますから、不況は「過少消費」の状態ととらえます。なので、需要創出という観点からの付加価値の分配の側面を重視して、高所得者から低所得者へ、中央から地方への所得再分配などを通じて、「社会全体の消費性向を高め、需要(有効需要)を創出すること」が大事だと考えるわけです。

この考え方からは、富の増加をもたらす政策は、所得再分配、安定的な需要を生み出す自立した中間層を創出する政策、という流れが生まれますし、社会保障はそのための政策ツールとして積極的に位置付けられることになります。

ただし、現実の世界では、「経済学」といえばもう、大学の経済学部でも学会でも経済界でも圧倒的に「右側の経済学」が優位(少なくともリーマンショックまでは)です。みんな「右側の経済学」を学んでエコノミストになっていますから、現実に提案・選択される経済政策・成長戦略は基本的に右側の経済学に依拠したものになっています。

成功しているかどうかは、もちろん結果を見てみないとわかりませんが。

社会保障に関わる経済学の系譜

政策思想としての経済学の系譜を解説したうえで、著者は、「経済学」あるいは「経済学者」の立場から論じられる社会保障政策論を理解するには、その「政策論」が、いかなる経済理論に依拠して展開されているのかを知らなければならない、その論者が依って立つ「政策思想としての経済学」がどのような価値観に基づいて構築されたモノであるかを知るという意味で、私たちは経済学を学んでおく必要がある、と説きます。

申し上げたように、現代の経済学を(少なくともリーマンショックまで)支配してきたのは圧倒的に右側の経済学です。「見えざる手」への信頼を基礎におく右側の経済学では、論理必然的に福祉国家や社会保障制度はネガティブに評価されます。

自らを「主流派経済学」と自負する人たちの経済学説史観に基づいて社会保障を論じることは、始めから結論が見えているようなものだ、と著者は言います。

例えば、20世紀の終盤に盛んに展開された「公的年金民営化論」「積立方式論」については、こう言います。

社会保障の歴史を学ばない、社会保障に詳しくない普通の(右側の)経済学者が、右側の考え方に沿って公的年金を考える。オルテガが『大衆の反逆』の中で描いた「近代の野蛮人」たる科学者として社会保障の舞台で振る舞う。
自分の操作する分析ツールが自身に先入観・偏見を植え付ける「色眼鏡」に変質するということだ、しかも、それが「科学」「学問」の名の下に本人が意識しないうちに頭の中を支配するのだから、経済学というモノは罪深い。要するに、入り口で間違えると最後まで間違える。そういうことだ。

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