「高校を卒業したら、地元で1年間ブラブラしようと思ってたんです。もっと裏社会も見ておきたいなって思いました。物書きになるなら、そういう世界も知っておいたほうがいいので」
深夜のコンビニでバイトしながら、悪友たちと遊んだ。麻雀をしたり、文章を書いたり、中原中也の詩集をポケットに入れて海岸を散歩して、寝転んで読んだりもした。
あっという間に1年が過ぎた。
「裏社会って一般とは違うルールで動いてるんです。弱肉強食。嘘も突き通せば本当になる。つまり裏社会は、どこかで人を傷つけることが平気じゃないとできないところがあるんです。
自分は暴力が嫌いだし、嘘も嫌。適性がないなと思いました」
本格的に物書きになろうと思って東京へ
だったら本格的に物書きになろうと思った。地元の沼津にいると情報も遅いし、友人たちと少し距離もとりたかった。
それで東京に出ることにした。
「親に『大学行く気になったから予備校のお金を出してほしい』って頼むと、喜んで出してくれました。予備校には2週間しか行かなかったですけど(笑)」
せっかく東京に来たのだから、 勝手知ったる彩図社に顔を出した。
「『東京に来たならバイトする?』って言われて『やります!!』って即答しました。それから編集部で働くことになりました」
19歳ではじめて会社で仕事をした。
高校生の頃、応募していた『ぶんりき』の編集作業が中心だった。
「予備校に行ってないことは親にバレちゃいました。彩図社で働いていることを伝えましたけど、怒られなかったですね。なんとなくわかっていたみたいです。厄介払いできてよかったと思っていたかもしれません」
新宿区に安いアパートを借りたが、部屋は三角形だった。そこに布団とテレビデオと電子レンジ、冷蔵庫、本棚があるだけのシンプルな部屋だった。
エアコンが壊れても直さず、部屋でコートを着て過ごしていた。
「自分は全然、物欲がないんですよ。インテリアや衣服にもまったくこだわりがないです。破れたり壊れたりしてはじめて、『新しいの買うか~』って思う感じです。一応見た目、汚くないようにはしてますけどね」
そんなアパートから、彩図社に通った。
月200時間以上働いた。彩図社の社員よりも多く働いていた。
「元日も編集部で仕事をして過ごしてましたね。仕事が面白くなったので彩図社に就職しました」
ただ『ぶんりき』はビジネスモデルとしては破綻していた。赤字が続き、休刊することになった。彩図社では社長と草下さんと編集者1人、経理担当者を残しほかの社員は全員リストラした。
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