「恥ずかしかったけど、うれしかったんです。みんなを楽しませたいと思って作品を作ったこと、そしてそれを読んで喜んでもらえたことが」
先生と交流するようになり、いろいろな文学を紹介してもらった。
「ロシア文学、ドストエフスキーとか世界観がしっくりきましたね。中原中也や萩原朔太郎、リルケやダゴールといった作家の詩もよく読みました。自分でも作品を書いて先生に見てもらっていました」
学校では文学青年で過ごしていた草下さんだが、中学時代からの不良の友人との縁も切れていなかった。
「友達の父親が潰れた雀荘を持っていて、そこにいろいろな人が集まって毎日麻雀大会が開かれてたんです」
そこには裏社会の人間も数多く集まっていた。若くして麻雀が強い草下さんは、彼らに気に入られた。世の中の裏の話を聞くことができた。
「詩を愛する文学青年」と「夜な夜な雀荘で麻雀を打つ若者」という両面を持って高校時代を過ごした。
半同人誌のようなシステムの本に応募
そのころ、草下さんは『ぶんりき』(彩図社)という本の存在を知った。お金を払うと自分の作品を載せてもらえるという、半同人誌のようなシステムの本だった。
「本の存在を知って興味が湧いて、応募することにしました。中原中也を真似たような詩を書いて送りました」
彩図社の社長から電話があった。
「載せるのは問題ないけど、掲載料がかかる。高校生だけどお金は大丈夫なのか?」
という確認の電話だった。
「麻雀で稼いだお金で掲載しました。恥ずかしいので友達には誰一人言わなかったですね。ただ国語の先生にだけは見せてました」
彩図社では当時、編集部の見学ツアーというのをやっていた。
草下さんは高校2~3年の時期、年に2回編集部に足を運んだ。
「出版に興味は湧いたんですけど、編集者になろうとは思わなかったですね。作家にはなりたかったけど、具体的には何も考えてなかったです」
高校3年になって
「大学には行かない」
と宣言した。親も諦めていたのか、文句は言わなかった。
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