古市憲寿の「芥川賞」が全くおかしくない理由 「タレント小説」ノミネートは決して悪くない
「またタレントが候補か」と思ってしまう現象は、いつ頃から始まったものだろうか。さかのぼってみると、もちろん昔からの伝統ではない。さりとて近年に特有なことでもない。まずは芥川賞の評判を高めた、2人のキーパーソンを紹介しよう。
「小説」と「タレント本」の融合
1956年、石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞した。現役の大学生、ということで話題性はバツグンだった。直後から雑誌を中心に広く顔がさらされると、上の世代への反抗心あふれる態度、ないしはそのルックスも人気を博して、瞬く間にスタータレントとなった。
受賞が報じられて大きな話題となる。宣伝効果を誘発して本の売上にも結びつく。芥川賞もこれをきっかけに大きく飛躍した。
次に訪れた大きな波は、1976年7月。村上龍の受賞だった。石原慎太郎以来の衝撃と騒がれ、見た目、言動、私生活まで、これもまた文芸界を越えてさまざまなメディアで取り上げられた。
石原と同じように、無名の新人が突如注目を浴びた例だが、20年の間で日本の経済は上向きに推移し、出版マーケットやマスメディアの規模も格段に膨張。石原の『太陽の季節』(新潮社)は発行部数22万5000部という記録を残したが、村上の受賞作『限りなく透明に近いブルー』(講談社)は受賞からたった2週間で30万部を突破。最終的に131万6000部まで伸ばした、と言われている。
ところが、市場規模は膨らんだが、村上が受賞した70年代後期になると出版界の成長率は鈍化。出版不況が到来したと、嘆きにも近い声がしきりに上がった。そのなかで各社が消費者の興味を引くような、売れる本を模索するのは当然といえば当然だ。
ライフスタイルの提案、ビジネスマンとしての心構え、ダイエットの実践法、ひまつぶしのクイズ本、その他さまざまな切り口から多種多様なものが出版されたが、知名度のある芸能人を著者としたいわゆる「アイドル本」「タレント本」も、好調な売上が見込めるジャンルとして存在感を放ち始める。
1980年代、ここで文芸とタレントが本格的に結びつく。もしくは自然と結びつけられたことで、新たな段階に突入する。
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