着物警察が若い女性を目の敵にする歴史事情 商品の「高級化路線」を狙った着物業界の功罪
・昭和42年(1967年)
日本初の着付け教室「長沼学園きもの着付教室(現・長沼静きもの学院)」ができる。時系列の中では、団塊の世代の成人式がピークを迎える直前だ。拡大する着物市場の中で、着付けを知りたい人々の需要があると見てのことだろう。以降、続々と全国に着付け教室ができ、今もたくさんある。実際に需要があったのだ。
こうした多くの着付け教室が果たした役割はいろいろある。生徒さんには、「着付けの方法を身に付ける(自分で使うことはもちろん、着付け師として収入を得ることもできる)」というメリットがあった。なにせ着付けには、さまざまな団体、教室が出す民間資格以外に「着付け技能士」という国家資格まであるのだ。
そして着物業界的には、「着物好きなファン層を増やす」という文化的な意味があった。もっと露骨には、「教室の生徒に、高価な着物を買ってもらう」という目論見もあった。そしてもう1つ、教室に通わない世間の人には、「着物というものは、教室に通わなければ着られないものなのか」という印象を与えてしまったのだ。着物好きを増やすとともに、着物を難しいと思う人も増やしてしまう。両刃の剣だった。しかし、昭和50年代以降、市場規模が年々縮小していく業界としては、ここに頼らざるをえない。
一般に、市場規模が減少していくとき、企業がとる戦略は次の2つに大別される。
富裕層を相手にした「高級化路線」だ。車なら、高級外車。食べ物なら、高級料亭や三ツ星レストラン。ファッションなら、有名デザイナーと高級ブランドによるオートクチュール。
「大衆化路線」だ。車なら、軽自動車。食べ物なら、ハンバーガーや牛丼のファストフード。ファッションなら、ZARA、H&M、GAP、UNIQLOといったファストファッション。
着物業界は(A)を選んだ。すでにいろいろな着付け教室で、たくさんの生徒さんを抱えつつあったからだろう。ちょうど割賦販売(分割払い、クレジット)も一般化しつつあった。教室に通う生徒さんに、着物をクレジットで買ってもらえば無理がない。すると、着物はフォーマルな高級品で、高い正絹のほうがいい。
さらに着物業界にとって、高級であることを維持し、権威を持たせるために、着物のしきたりやルールはたくさんあったほうがいい。「この着物を着るのなら、帯はこのクラス以上でなければならない」「これは結婚式に着ていっていい着物」「こっちは結婚式に着ていってはいけない着物」「おはしょりの長さは帯の下から5~7センチ」など、こまごまとしたしきたりができていく。そんなもの、もともと決まりはない。
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