着物警察が若い女性を目の敵にする歴史事情 商品の「高級化路線」を狙った着物業界の功罪

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さらに、なんでもかんでもこれを理由にするのは少し恥ずかしいのだが、「インスタ映え」もある。たしかに、スマホで簡単に写真が撮れるようになった世の中、珍しい着物姿をすぐにSNSで自慢して共有したい気持ちは、わかる。こうして若い女性は、慣れないながらも着物を着ることを楽しんで外出する……と、着物警察に遭遇するわけだ。

②着物の着方をチェックできる知識を持つ年配の女性が、一定数いる。

年配といっても、70~80歳ではないだろう。50~60歳あたりか。若くても、せいぜい40代だろう。この人たちはバリバリの戦後世代だ。いわゆる団塊の世代よりずっと若い。みんな、日常的には洋服文化で育ってきた人たちだ。

この①と②がともに一定数いる、というか、むしろ増えていることで接触機会が増え、「着物警察」事件が起きているのだ。その理由を、過去の着物ブームを時系列に追いつつ、解説していこう。

着物警察が跋扈する歴史的背景

まず前提として、戦時中の贅沢禁止がある。「七・七禁止令」(昭和15年の「奢侈品等製造販売制限規則」)が出て、庶民はきれいな着物は着られなかった。「ぜいたくは敵だ」のスローガンはこのとき。国防婦人会が街に出て、おしゃれな服装をした人がいると注意、というか叱責というか、ひどい場合は若い女性の着物の袖をハサミで切ったりもしたという。元祖・着物警察だ。

戦後も、まずは食べていくことが大事。大切にしまっておいた着物は焼けてしまったし、残ったものも食べ物に換わったりした。もちろん戦後は洋装化が進むのだが、このあと意外に着物が頑張る。

・昭和34年(1959年)

皇太子ご成婚ブームが起こる。このとき、美智子様が着物姿で登場したことで、着物がブームになる。高度経済成長が始まり、世の中がしだいに豊かになり、庶民もそれまで我慢していたおしゃれが楽しめるようになったのだ。

・昭和39年(1964年)

東京オリンピック。一見スポーツと着物は関係ないように思える。しかし、表彰式でメダルを運ぶコンパニオンは振袖姿。ここで日本は着物の美しさを世界にアピールしたのだ。

・昭和43年(1968年)

明治百年ブームが到来。GNP(当時はGDPではなかった)が、西ドイツを抜いて世界第2位になった年だ。このとき、明治礼賛、日本は素晴らしいという風潮になった。

次ページその後、どんどん縮小していく着物市場
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