55歳「孤独死」の危機から立ち直った彼の告白 妻との死別による悲嘆を救ったのは人だった

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しかし、明らかに身の危険が迫っていると感じる段階になるまで、自分が追い詰められているという実感はなかったという。自分で自分の健康を顧みなくなるのはセルフ・ネグレクトの特徴だが、自分でもそのおかしさに気づくことができない。自分で自分の姿が見えなくなる。それも、とてもセルフ・ネグレクトと似通っている。

近所の心療内科を訪れると、「自律神経失調症」と「パニック障害」だと診断された。

「今思うと、妻が亡くなって、本当にすべてのことがどうでもいいと思うようになった。アルコールでセルフ・ネグレクトになる人とまったく同じだと思います。パニック障害は薬で治ったのですが、今も睡眠障害だけは続いていて、睡眠導入剤は就寝前に1錠飲んでいますね」

自分の体験を人に話したことが転機に

転機となったのは、自身の胸中を他人にカミングアウトしたことだった。

あるときから、雪渕さんは絵画の収集に没頭するようになった。亡き妻の幻影を追い求めるように、女性の後ろ姿の絵ばかりを追い求めて、さまざまな美術館やギャラリーを訪れるようになったのである。

東京都内を中心に、大阪、京都など全国のギャラリーに足を運び、オーナーや作家と会話をする。それだけが、生活の中の唯一の安らぎだった。

雪渕さんはギャラリーのスタッフや作家としだいに打ち解けるようになり、自分の体験を自然に打ち明けるようになった。

直美さんとの別れや、両親のこと―直美さん他界の2年後に実家のご両親の同時介護も体験した――。雪渕さんは、とめどなくしゃべった。絵を目の前にして初めて、雪渕さんは悲しみを吐き出すことができた。

ずっとずっと胸に秘めていた思いは、あふれるように口をついて出てくる。

雪渕さんの話を聞いた女性の画廊オーナーは、話を聞きながら目に涙を溜めて一緒に泣いてくれた。

「誰かに自分の体験を打ち明けること。これが自分の中では、最大のグリーフケアになったと思いますね」

グリーフケアとは、身近な人との死別を経験し、悲嘆に暮れる人をそばで支援し、悲しみから立ち直れるようにすること。アメリカやヨーロッパでは、遺族が死後も定期的に通い、医師やグリーフアドバイザーから助言を受けることが一般化している。しかし、日本ではまだこのような取り組みは公的にはなされていない。

雪渕さんにとっては、「まさにこの体験こそがグリーフケアになった」と言う。遠いところに住む親族よりも、自分が共鳴し、そしてリスペクトする相手。そんな相手に自分の悲しみを打ち明けられたことが何よりも立ち直るうえで、大きかったのだという。

それからしばらくして、雪渕さんは行政書士の資格を取得した。妻との死別や両親の介護体験を生かし、行政書士として、主に終活、つまり身じまいのサポート業務に携わることを決意したのだ。

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