美術界の巨匠「蔡國強」と福島の意外な関係

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映画みたいですよね。すべての人の挑戦を肯定するような強さがある言葉。大きな冒険だけが冒険じゃない。人それぞれに冒険があって、やり始めたらそれが冒険になる。すごいすてきな考え方だなと思って。夢とか冒険って青臭い言葉なんだけど、やっぱり人生には必要なもの。この本も、みんなそれぞれの冒険に出よう、と伝えられたらいいなと思っています。

「いわきチーム」は群を抜いて特別な存在

──一方、蔡さんは静的で淡い、水墨画のような印象でした。

彼はとても細やかな気遣いができる人。大声でカリスマチックにまくし立てるようなことはしない。でもみんなを一生懸命にさせてしまう何かがある。その場に居合わせた人全員が登場人物で、この作品のためにはこんな人が必要、じゃなくて、そこにいるみんなで作るとどんな作品になるかな、と見届ける係みたいな感じです。だから失敗しても、失敗自体が作品になる。

もちろん、蔡さんの作品作りに参加した人は世界中にいるわけですが、その中でもいわきチームは群を抜いて特別な存在だと思う。

その関係の強固さを理解したのは、「いわきの庭」という作品の制作が始まったときですね。ニュージャージーの蔡さん宅に“いわきの人たちによるいわきの庭”を作るというプロジェクトなんですが、多忙な蔡さんは留守が多くて、いるのは作業中のいわきチームだけ。

たまに蔡さんが帰ってきて、「皆さん、やっと帰ってきました。乾杯!」とか言ってみんなで飲み出す。蔡さんにとっていわきは、自分を芸術家として出発させてくれた原点。だから本当に好きで特別な存在なんですね。海外の美術館で展示するときは必ず、「皆さん、来ませんか?」と声をかける。

──埋もれていた廃船の作品も、展示する美術館側の設営ではなく、それを掘り起こしたいわきチームがやってきて組み立てるところから、蔡さんのアートだと。

そう。でも見ていると、船を作るために一緒になるのではなく、一緒にいるために船があるのかなという気がしてきた。蔡さんも否定しないのでそうなんじゃないかな。だって1つのプロジェクトが終わると、すぐまた次が立ち上がって、いわきチームが飛んでいく。

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