「歴史の中の未来」は物の見方を豊かにする
──そもそも、歴史にifは禁物と聞かされてきました。
英国の有名な歴史家、E・H・カーが名著とされる『歴史とは何か』で「歴史のif」の発想を「サロンの余興」と批判するなど、物事の原因を説明するのが役目と考える歴史家たちは否定的です。が、すべての歴史家がそうではなく、海外では「歴史のif」に関する論文はもちろん書籍が多数あり、「ユークロニア(どこにも存在しない時間)」というデータベースもあります。また、政治学者や心理学者も「歴史のif」の学術的な研究に参加しています。
──日本ではあまり聞きません。
日本での「歴史のif」の大きな特徴は1990年代に大ブームとなった架空戦記です。太平洋戦争において、もし日本が勝ったら、8月15日以降も戦い続けたらといった小説がよく売れました。一方で、学術的な研究はあまりなく、その意味ではガラパゴス的。ただ、最近は加藤陽子・東京大学教授による、玉音放送がなく阿南惟幾(あなみこれちか)新首相が戦争を継続するという小松左京『地には平和を』の再評価など、変化は出てきています。
──Aが起きれば必ずBになる、という歴史必然論、決定論へのアンチテーゼだと思いますが、すべてのifが対象ではない?
例えば歴史改変小説。ナチスが米国に勝利していたらどうなっていたかを描いたフィリップ・K・ディックの『高い城の男』をはじめとして面白いものが多く、日本の架空戦記も含まれます。これらは「もしもあのときこうだったら」から風が吹けば桶屋が儲かる的に話が膨らんでいって面白いけれど、あくまで物語。丸々学術的な研究対象にはなりにくい。
ただ、歴史におけるターニングポイントはどこかということを示し、着想を与えてくれる点では重要だと思います。また、ターニングポイントから短期間の話であれば参考になる。
一般的に、ターニングポイントでのifを問うことで、そうならなかったけれど起こりえたこと=ありえたかもしれない過去、を分析することに学術的な研究の可能性があると思っています。
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