日本人はもっと「歴史のif」を考えるべきだ 「歴史の中の未来」を考える意義とは

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──短期的とはいえ、歴史にifを取り入れる意味は何でしょう。

歴史の当事者たちがターニングポイントから見た未来像、いわば「歴史の中の未来」に私たちが関心を寄せるよすがになります。第1次大戦が起こった必然性のなさに着目したクリストファー・クラークは『夢遊病者たち』で、「なぜ」ではなく「いかにして」を問うことで第1次大戦よりもましな「未来の種」が潰された理由を分析しています。

ifを考えると、現在のとらえ方も変わる

──いろんな選択肢があったのにこれですか、という視点ですね。

赤上裕幸(あかがみ ひろゆき)/1982年生まれ。2011年、京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。教育学博士。大阪国際大学人間科学部講師などを経て現職。専攻はメディア史、社会学。著書に『ポスト活字の考古学──「活映」のメディア史1911-1958』(撮影:梅谷秀司)

歴史のifを取り入れるよさは、厳密性ではなく創造性、必然性ではなく偶然性、変わりえた可能性を提示することで、現在のとらえ方も変わるということです。

ビジネスの観点でいえば、企業が経営計画を策定するとき、過去の失敗例に関して「あのとき、こうしていたら状況は改善したのではないか」「想定外の要因は何だったのか」「社内で別の考えを持った人がいて、その線で行けば成功していたのではないか」と再検討することはよくあると思います。これは「歴史の中の未来」とつながります。こうした発想によって、物の見方がより多角的に、豊かになります。

また、先に挙げた架空戦記については、石田あゆう・桃山学院大学准教授が、当時の読者はビジネス書として読んでいたと指摘しています。架空戦記の軍事的戦略はビジネスと相性がいいですし、「24時間戦えますか」と今以上に総力戦を強いられていた人々が、処世術を学ぶ書としても読んでいたというわけです。

「歴史のif」はどんな人が用いても得られるものがある。応用可能性は大きいと思います。

──対象となるifが適切かどうかはどう判断するのでしょう。

このテーマでは、歴史学者のニーアル・ファーガソンが1997年に編んだ『Virtual History』(邦訳なし:編集部注)を参考にしていて、ファーガソンは、当時の人々が真剣に考えた選択肢だという証拠が必要だと考え、紙などの媒体に残された記録に依拠したifに限定すべきだとしています。

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