子どもを持って働いている女性に、言いたいこと。それは、どれだけ法律で休業が保証され、時短が社内規則で明文化され、看護休暇があったとしても、職場では当然の権利だという態度を絶対取らず、短い時間の中で成果を上げるように努力する、ということです。また周囲への感謝を「ご迷惑をかけます」「おかげで子育てができてありがとうございます」と言葉でしっかり表現し、態度で示すように私はアドバイスしています。
しかし、そのように振る舞う女性ばかりではありません。子育てと仕事に追いまくられて周囲に気を回す余裕のない女性もたくさんいますし、体力や時間の制約で仕事の成果が出せない人もいます。考え方が未熟で、「権利なんだから子育ての大変さを認めない会社が悪い、周囲が悪い」と考えている女性もいます。いちばん度しがたいのは、悪気がないままかわいい子どもを持った幸せを見せびらかし、周囲の協力を当然としている女性です。
こういう同僚の母親社員に対し、同じ女性でも「しようがないな」と舌打ちしたくなる気持ちになるのは当然です。
しかしそれを言ってしまっちゃあ、おしまいです。そこをぐっと我慢するのが女性の美学です。
この忌々しい気持ちを切り替えるには
相手が未熟だからこっちも思ったことを遠慮なくズケズケ言いましょう、というのでは子どもと子どものけんかになってしまいます。こちらが我慢するだけなんてほんとに損だ、と被害者意識にとらわれてしまわず、どうしたらこの忌々しい気持ちを切り替えることができるでしょうか。
1つの考えは、相手より高みに立って、「かわいそうに、忙しくて余裕がないんだ」と哀れみの気持ちを持つことです。未熟な相手が成長するのを見守る教師か、姉のような気持ちになるのです。
確かにどれだけ制度が整っても子どもが3、4歳になる頃までは親も必死で子育てをしなければ子どもは育ちません。ヒトがこれまで生き残ってきたのは、年長のメスやオスが力を合わせて子育て中の若いメスを支えたからだといわれます。
「だから子どもを産んだ女はさっさと仕事をやめて家庭で子育てをしろ!」と考える人は今でもいますが、それでは個々の家計も経済も回りません。
自分ばかり損していると思わず、子育て支援は日本という社会を存続させるための必要経費のようなものだと、大きな目で物事を見てはどうでしょうか。一人ひとりのワーキングマザーやシワ寄せを受ける自分は、その全体の中の小さな1つの存在としてみる眼を持つのです。
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