古市憲寿が初小説で「安楽死」に挑んだ理由 ラストを包むのは凪のような静けさ

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いろんなメディアのアンケートを見ると、7〜8割の人が安楽死に賛成と答えてる。一方で「高齢者の医療費削減か」「年寄りは早く死ねってことか」という議論になりかねないので、政治家はこの議論を避ける。

加えて、本の中のケースのように、家族の圧力で、本人が渋々納得させられて死んでいくような、望まない死を強いられる人が出ないとも限らない。そういう弊害ももちろんあるとは思うけど、選択肢として自分で死を決められる時代になってもいいんじゃないかなと、個人的には思います。

今は死んでも記憶が残ってしまう時代

──安楽死を望む平成くんが取材で立ち会う“安楽葬”の描写が、すごくリアルでした。

基本は僕の想像です。でも安楽死にはどうしても賛否があるから、シーンの中に負の要素を入れました。参列者が一連の儀式を淡々と眺めてる様子や、薬不足で代替品を使った結果、息絶えるまで長時間苦しんだ例、失敗して全身不随になる例など。死ぬ人も楽にはいかないかもしれないし、見ている側も何かもやもやしたまま。

──死を選択する権利は自分にある。完全に自分一人の問題であって、死後自分を記憶しておいてもらう必要などない、というのが平成くんの淡泊な死生観。

平成くん、さようなら
『平成くん、さようなら』(古市憲寿著/文芸春秋/1400円+税/187ページ)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

安楽死に対して僕はポジティブだけど、死んでからも人が人のことを覚えておいたほうがいいのか、正直よくわからない。実際、ある狩猟採集民は、死んだらその人の名前さえ言うことを禁じて、埋葬した場所もみんなで忘れてしまうそう。

ただ今は、覚えておこうと思わなくても残っちゃう時代。ツイッターとかSNSとかLINEとか、ネットに無数のテキストやアーカイブを残してしまってるから、完全に消し去ることはもはやできない。亡くなった方のツイッターがリツイートで流れてきて、バズる(一気に拡散して話題になる)こともある。

──終盤、平成くんは違った形の安楽死、というか、社会的なフェードアウトを遂げていく……。

いろんな出来事をきっかけに、人と人との記憶っていうのは大事な情報だけではなく、たわいない会話やどうでもいい話の集積が実は大事なんだ、ということに彼は気づいていく。だったら自分も、自分がしゃべらなければ世の中に残らない極めて個人的な経験・発見を、彼女にだけ残そうと思った。彼女を悲しませないよう、両方の願望を解決できる答えを見つけた。テクノロジーが人の生死にいかに影響を与えるか、いかに僕たちの感覚を変えたか。それこそ平成の時代の一つの象徴だと思うんですよね。

中村 陽子 東洋経済 記者

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なかむら ようこ / Yoko Nakamura

『週刊東洋経済』編集部記者

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