私個人の話をすれば、近鉄がオリックスに吸収合併され、球団が消滅することが決まった時点で、新規参入球団への移籍をほぼ決めていました。しかしそれだけではなく、この問題を戦ううちに、新球団への想いはどんどん増していきました。
なぜならば、私はたとえマスコミに叩かれても、新球団がそれだけ戦力として劣るようなことがあったとしても、この前代未聞の危機からわれわれを、そして12球団でのプロ野球を存続できるように救ってくれた楽天にどうしても貢献したかったし、選手として恩返しをしたかったからです。
当時はオリックスのプロテクトを拒否したことを「選手のわがまま」と批判されることもありましたが、そうじゃない。私は、楽天という新球団で絶対に戦って、そして活躍してみせる! そう決意したのです。
ドラフトも終わり、「東北楽天ゴールデンイーグルス」としての骨格がある程度決まり、チームとして同年11月11日、翌年から本拠地となる仙台で結団式を行いました。
この仙台の地でやっていく思い
大阪からの移動は飛行機でした。
仙台空港に到着し、ロビーから外に出たときの率直な感想、それは「めちゃめちゃ寒い!」(笑)。
寒かった外気温とは正反対に、このときイーグルスメンバーとして初めて仙台に降り立ったことで、心がカッと熱く燃え上がったのも事実です。
「この地でなんとかやっていこう!」と決意を新たにしたことを、今でも鮮明に思い出します。
空港からはそのまま、来シーズン本拠地となる宮城球場(翌年からフルキャストスタジアム宮城、現・楽天生命パーク宮城)の視察に向かいました(トップ写真)。
すでに改修工事が始まっていましたが、もともと歴史のある古い球場だったので、はたして2005年シーズンの本拠地開幕に本当に間に合うのかどうか、甚だ不安になるような状態でした。
そんな有様(笑)だった球場が14年後の今では、日本でも有数の“美しい球場”として多くの野球ファンでにぎわっていること。そして野球ファンのみならず、地域の皆さんに気軽に訪れていただける、日本初の“ボールパーク”として観覧車やメリーゴーラウンドを備え、子どもたちの笑顔であふれていることは、まるで夢のような出来事にも思えます。
こんな継ぎはぎの状態でヨロヨロと進み始めた、波間の笹舟のような「東北楽天ゴールデンイーグルス」。次回はその黎明期のお話しをさせてください。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら