その後、皆さんもご存じのとおり、新球団は時代の寵児であったもう1人の若きカリスマ経営者、三木谷浩史氏率いる楽天に決定したわけです。
このとき、現・三木谷球団オーナーと楽天に対しては、心から感謝する気持ちでいっぱいになったと同時に、ああ、これで本当に私のルーツであった近鉄バファローズが消滅してしまうんだ、という寂しい気持ちが押し寄せました。
しかし、私は根っからの野球人なのでしょう。すぐに気持ちがこれからの楽天との未来へと膨らんでいったのもまた事実です。
それにしても今考えると、当時、三木谷氏はなんと30代で球団オーナーになられたのですね! 今の私よりも若くしてこの立場になられたことを思うと、当時の三木谷氏の年齢を超えた今だからこそ改めて、すごさを感じます。
選手分配ドラフトでも戦力差が生まれた
新球団名は「東北楽天ゴールデンイーグルス」、そして監督も田尾安志氏に決まり、同年11月8日に大阪市内でオリックスと楽天での選手分配ドラフト(以下ドラフト)が行われました。このドラフトは、
② その25人を除く選手の中からまず20人を楽天が決めることができる。
③ それ以降はオリックス→楽天の順番で交互にドラフトしていく。
というかたちで行われました。
このように、このドラフトに関してはオリックスが来季必要な選手を先に25人選抜できるかたちになっており、良い選手をオリックスが先に選択できるという有利なものでした。
この合併問題が9月に妥結した時点で、近鉄側の選手はある程度本人の意志を尊重してもらえ、移籍先を決めることができるというような趣旨の話がありましたし、戦力として均等に分配されることを私としても望んでいました。
しかし、蓋を開けてみると流石にオリックスのほうが戦力として上だなぁ、という感想でした。
メジャーリーグでは新球団が参入する場合、最低戦力保証のようなドラフトを行うそうなのですが、これはそうではなかった。トップの25人といえば文字どおりの精鋭です。楽天はそんな主力の25人以外からドラフトをしたので、戦力としては残念ながら他11球団に及ぶようなものではありませんでした。
そのため、これは改めて後述しますが、2005年の開幕2戦目のロッテ戦で大敗を喫することになった。やはり平等とはほど遠い、戦力差のあるドラフトになったのです。
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