「東大エース」がプロで受けた洗礼と42歳の今

六大学野球・8勝の投手が、2年未勝利で引退

自分が通う高校のレベルを冷静に考えると、甲子園出場は現実的な目標にはなりえなかった。遠藤が近い将来の目標として掲げたのは、東京六大学でプレイすることだった。神宮球場で投げるための現実的な選択肢として、東大が目の前にあった。

「高校時代は弱小チームながら、野球に青春をかけているという自負はありました。でも、バリバリの進学校なので、卒業してからも野球を続ける人は多くない。みんな、高校で終わり。でも、僕はもうひとつ上のステージで野球を続けたかった。東京六大学は知名度があって、週末に試合を見ることもできました。

先のステージを考えたときに、『神宮球場で投げたい』と強く意識するようになりました。自分の野球のレベルを考えれば、神宮球場のマウンドに上がるためには東大に入るしかない。そういう結論になって、東大を第一志望にしました」

ひとりのピッチャーとして戦って敗れた

高校時代に完全燃焼できなかった球児にとって、東京六大学は最高の環境だった。甲子園で活躍したスターと同じ条件で勝負できるからだ。

「東大野球部は、浪人して入ってくる人が半分以上。東京六大学で野球ができる、神宮でプレイできるというのが、みんなのモチベーションでしたね。野球がうまいかどうかは別にして、東大の選手は自分の意志で大学を選び、野球部に入る。『大学で野球なんかやるべきじゃない』と反対されても、それを突き破って野球をする。誰にも『野球をやれ』と言われないのに(笑)。『やりたいからやる』というのが、東大野球部のひとつのアイデンティティですね」

遠藤が神宮のマウンドを踏んだとき、東京六大学で活躍していたのが、慶應大学の高橋由伸(元読売ジャイアンツ)と明治大学の川上憲伸(元中日ドラゴンズなど)だった。

「『こんなすごい選手と対戦できるのか』と、楽しみなような、怖いような感情を覚えました。自分が同じマウンドで投げ合えるとは、到底思えなかった。でも、入学して登板のチャンスをもらったら、自分でも驚くほどすんなりプレイできました。1年の春にデビューして、秋には2戦目の先発をさせてもらいました」

遠藤はその後、卒業するまでの4年間、東大のマウンドを守り続けた。そのうち、プロ野球に進むことを目標として考えるようになった。

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