「東大エース」がプロで受けた洗礼と42歳の今 六大学野球・8勝の投手が、2年未勝利で引退
90年以上の歴史を誇る東京六大学リーグのなかで、東京大学だけは優勝したことがない。チームとしてはBクラス、最下位が定位置ではあるが、これまで6人のピッチャーがプロ野球に飛び込んでいる。2017年秋のドラフト会議では宮台康平が北海道日本ハムファイターズから7位指名を受け、話題を集めた。
しかし、宮台以前にプロになった選手は、数年後にひっそりとユニホームを脱いでいる。
1999年ドラフト会議でファイターズから7位指名を受けた遠藤良平もそのひとりだ。進学校として知られる筑波大学附属高校を卒業後、一浪の末、1996年に東大に入学した遠藤は、4年間で 57 試合に登板し、8勝32敗、防御率3.63という成績を残した。東大歴代5位の勝利数(平成では最多)を記録したサウスポーだ。
しかし、現役時代はわずか2年で、一軍登板は一度だけ。ひとりのバッターに2球投げて、ヒットを打たれ降板している。プロでは実力を発揮することができず、2シーズン目が終わるころに戦力外通告を受け、ユニホームを脱いだ。
神宮球場で投げるために東大を選んだ
遠藤の子どものころの目標は「早実のユニホームを着て甲子園に出る」ことだったが、進学先として選んだのは早稲田実業ではなく筑波大学附属高校だった。
「中学時代は野球がうまくいっていなくて、野球だけで勝負する自信がありませんでした。それで、野球は強くなくても学力の高い高校を選びました。もちろん、野球が好きだし、甲子園に出たいと思ってはいたんですが……」
しかし、野球オンリーの日々を選択しなかったことで、新しい自信を得た。
「弱いチームだったんですが、中心選手として試合に出て、改めて野球の楽しさ、チームを背負って投げる喜びを感じました。試合に負けたとしても、マウンドの上で勝負したいと思えました。
でも、三年の最後の夏が近づくにつれ、高校野球の終わりが見えてくるわけです。ドラフト会議で指名されるような選手、大学、社会人のチームから誘われるくらいの選手でなければ、卒業後にどこで野球を続ければいいのかよくわからない。僕もそうでした」
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