「東大エース」がプロで受けた洗礼と42歳の今 六大学野球・8勝の投手が、2年未勝利で引退

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成功するかどうかで考えれば、明らかに分が悪い。成功確率というものがあるとすれば、かなり低かったはずだ。だが、遠藤はそこを見なかった。そもそも、成功するかどうかなど、誰にもわからない。

腕に覚えのあるアスリートなら、当然、少しでも高いレベルで戦いたいと思う。東大でエースになり、通算8勝を挙げた遠藤が、プロ野球を目指したのは自然の流れだ。

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「結果的にいま、GM補佐という仕事についているので、引退後の規定路線のように思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。

僕は選手以外の立場でプロ野球の世界で働こうとは少しも思っていなかった。現役選手のとき、そこに魅力は感じませんでした」

好きな野球で、高いレベルで勝負したいという思いがあった。全力を注いだ結果、いまにつながる道ができたのだ。

「スポーツをやっている人間なら、もっとレベルの高いフィールドが目の前にあって、それにチャレンジする権利があったら、当然やるでしょう。僕はほかの職業と比較することはなかった」

プロ野球を選んだ人生がもたらしたモノ

遠藤は42歳になった。同じ1976年生まれのプロ野球選手はみな、ユニホームを脱いだ。

「東大の同期は40歳を過ぎ、会社のなかで差が出始めるころです。一流企業で着実に階段を上がっている人もいれば、そうじゃない人もいる。仲間からは『遠藤はいいよな。おまえの人生のなかで、出世とか収入とか関係ないんだろう?』と言われます。

全然関係ないわけじゃないんだけど、そういうことに縛られていないように見えることは、ありがたいことかもしれません。プロ野球を選んだ時点でそう思われたようですね(笑)」

(文中敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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