「東大エース」がプロで受けた洗礼と42歳の今 六大学野球・8勝の投手が、2年未勝利で引退

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野球選手ではなくなった自分が、新たに情熱を注げるものを見つけたかった。しかし、具体的な計画があったわけではない。

「そんな僕の気持ちを察してくれたのかどうかわかりませんが、ファイターズから『メジャーリーグの球団で勉強してはどうか』という話をもらいました。そんなチャンスは自分の力だけでは手に入れることはできないと思って、ありがたくお受けすることにしました」

プロでの2年間、地道に努力する姿が認められたからこそ、球団から職員として残ってほしいと要請されたのだろう。どこかで誰かが遠藤のことを見ていた。

「野球に一生懸命に取り組む姿勢が認められて、その後の仕事につながったのかもしれません。ヘタはヘタなりに頑張ったことが。プレイヤーとしては報われなかったけど、長い目で見たらそんなことはなかったということかな。努力は“必ず”報われるわけではなくても」

遠藤がユニホームを脱いでから20年近くが経った。チーム強化部編成企画、ベースボールオペレーション・ディレクターを経て、現在はファイターズのGM補佐を務めている。

「強いチームをつくるうえで、一軍のチーム、二軍の現場、アマチュア選手のスカウティングという3つが大切。僕はGM補佐として、それぞれがうまく機能するように現場に足を運んでコミュニケーションをとっています」

ファイターズは、ダルビッシュ有、中田翔、大谷翔平など、高卒の新人選手の育成に定評がある。育成プランをつくり、それに沿って成長の度合いをチェックするのも遠藤の仕事だ。

自身が完全燃焼できなかったからこそ、才能を伸ばすための環境づくりに遠藤は心を砕いている。

「僕たちの仕事は、選手たちのためにきちんとした環境を整えてあげること。ファイターズに入ったからには、『やれることをやり切った』『才能もすべて出し切った』と思ってほしい。その環境づくりを意識しています」

「自分がやりたいかどうか」が指針

できるかどうか、ではなく、やりたいかどうか。

人生の岐路に立ったとき、遠藤はそれで判断してきた。遠藤がプロ入りを表明したときには、反対する人がたくさんいた。「プロで成功するはずがないじゃないか」と。

「東大OBには、『本当にそれでいいのか?  世の中にはおまえの知らない、もっと大きな世界があるんだぞ』と言われました。 『成功すると本気で思っているのか』とも。でも、僕が人生の選択をするときに、『できるかどうか』という判断基準はなかった。

できるとわかっていたら、面白くないじゃないですか。そういう声を聞いて、逆に『プロ野球の世界に挑戦してやろう』と思いましたし、しっかりとした覚悟を持てました」

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