玉田圭司が回顧する選手の一体感と世代融合 2004年のアジアカップで自分を甦らせた言葉

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それでもワールドカップイヤーの2010年には復帰し、2度目の世界舞台が近づくにつれてコンディションを上げていた。大木武コーチ(現・FC岐阜監督)からも「絶対チャンスが来るから頑張れ」と声を掛けられ、本人も南アを1つの集大成にすべく全力を注いでいた。

が、本大会で主力攻撃陣を形成したのは海外リーグでプレー経験のあった本田、松井大輔(横浜FC)、大久保嘉人(ジュビロ磐田)の3人。玉田は第2戦・オランダ戦(ダーバン)の後半途中からとラウンド16・パラグアイ戦(プレトリア)の延長戦でピッチに立っただけで、4年前のようなゴールという結果を残せないまま、代表キャリアを終えることになってしまった。

「ホントにあれだけケガが続いたのはあの年だけ。そういう時に本田や松井といった海外組、岡崎みたいな若手が出てきたのはデカかったし、痛かったよね(苦笑)。南アはもっと試合に出たかったし、フルで活躍したかった。

もちろんチームをサポートするだけじゃ満足できないから。ただ、1人の選手が少しでもチームを壊すようなことをしてしまったら、いいことは何もない。南アの時はみんながそう思っていたからチームがすごくまとまっていたし、一体感はあったよね」

2018年の代表躍進は先人たちのおかげでもある

当時30歳だった玉田は、川口や楢崎正剛(名古屋グランパス)、中村俊輔(ジュビロ磐田)ら年長者の空気を感じながら、自身もベテランに近い中堅選手の1人として必死にチームを盛り上げた。

玉田 圭司(たまだ けいじ)/名古屋グランパス所属のプロサッカー選手。1980年千葉県生まれ。1999年に柏レイソルに加入しプロデビュー。日本代表初選出は2004年。ワールドカップ本大会はドイツ・南アフリカの2大会に出場(筆者撮影)

そんな姿を見ていた本田や岡崎も8年後の2018年ロシアワールドカップでベンチから仲間を鼓舞し、結束を高めようと努めていた。玉田らの献身が8年後の代表につながり、成功の源となった。

それは今一度、強調しておきたい点だ。

「僕がアツさんの言葉で励まされたように、サッカーはやっぱりチームワークだと思う。

今の若手たちも勢いだけではできない時が来るかもしれない。アジアカップで壁にぶつかるかもしれないけど、そこでブレずにいろいろ考えて代表を底上げしてほしいよね」

ベテラン・中堅・若手がうまく融合してこそ、日本はアジアの頂点に立てる。玉田らが奮闘した14年前の再現を森保ジャパンにはぜひ見せてほしいものだ。

(文中敬称略、後編に続く)

元川 悦子 サッカージャーナリスト

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もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

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